2014年11月04日
大船渡と陸前高田に行ってきました
東日本大震災から三年以上たった。
正直言うと、僕の中ではしだいに悲劇の記憶が薄れ始めていた。東京で日々の生活に追われていると、ニュースの映像で見た大災害が、まるで夢でみたことのような気さえしていたのだった。
今回、震災直後からボランティアとして被災地に入り、大船渡市で『やっぺし祭』というイベントをやりつづけてきている関係者に誘われて、それに参加してきた。このイベントは大船渡の仮設の商店街を少しでも活気づけようと企画されてきたものだ。
ポケモンの脚本を書いている人が行けば、現地の子供たちがきっと喜びますと言われたので、すこしでもイベントの力になればと思ったのでした。
三日間、被災地に行って、そこに生活している人たちとふれあってくるという体験は、僕にもう一度、あの悲劇を思い出させて、現実を見つめ直すきっかけを与えてくれました。
大船渡で僕を迎えてくれた子供たちは、ひとなつっこくて元気でした。
仮設住宅の側の体育館で出会った野球少年たちはシャイで無邪気でかわいらしかった。
『夢商店街』のみなさんは、たくましかった。
しかしまだまだ震災と津波の爪痕はなまなましく残っているし、復興への問題はまだまだ山積みされているし、解決していかなければならないことは、たくさんあると思いました。
しかし岩手の人たちの優しさに触れて、僕は感動しっぱなしの三日間でした。
現地の人たちをはげまそうと行ったのですが、逆に励まされたのは僕の方でした。
今回、ボランティアで祭に参加している人たちと一緒に公民館で二晩寝袋で寝ました。
三年にわたって被災地でボランティアをずっとしてきた人たちには尊敬の気持ちしかありません。
いろいろと考えることが多い体験でした。
東京に帰る前に陸前高田の奇跡の一本松に行ってきたのですが、その周囲で行われているかさ上げ工事の異様な風景が、まさにリアルな現実で、人のあたたかさに感動していた僕を、現実に引き戻しました。
まだ何も終わってはいないのだと。
正直言うと、僕の中ではしだいに悲劇の記憶が薄れ始めていた。東京で日々の生活に追われていると、ニュースの映像で見た大災害が、まるで夢でみたことのような気さえしていたのだった。
今回、震災直後からボランティアとして被災地に入り、大船渡市で『やっぺし祭』というイベントをやりつづけてきている関係者に誘われて、それに参加してきた。このイベントは大船渡の仮設の商店街を少しでも活気づけようと企画されてきたものだ。
ポケモンの脚本を書いている人が行けば、現地の子供たちがきっと喜びますと言われたので、すこしでもイベントの力になればと思ったのでした。
三日間、被災地に行って、そこに生活している人たちとふれあってくるという体験は、僕にもう一度、あの悲劇を思い出させて、現実を見つめ直すきっかけを与えてくれました。
大船渡で僕を迎えてくれた子供たちは、ひとなつっこくて元気でした。
仮設住宅の側の体育館で出会った野球少年たちはシャイで無邪気でかわいらしかった。
『夢商店街』のみなさんは、たくましかった。
しかしまだまだ震災と津波の爪痕はなまなましく残っているし、復興への問題はまだまだ山積みされているし、解決していかなければならないことは、たくさんあると思いました。
しかし岩手の人たちの優しさに触れて、僕は感動しっぱなしの三日間でした。
現地の人たちをはげまそうと行ったのですが、逆に励まされたのは僕の方でした。
今回、ボランティアで祭に参加している人たちと一緒に公民館で二晩寝袋で寝ました。
三年にわたって被災地でボランティアをずっとしてきた人たちには尊敬の気持ちしかありません。
いろいろと考えることが多い体験でした。
東京に帰る前に陸前高田の奇跡の一本松に行ってきたのですが、その周囲で行われているかさ上げ工事の異様な風景が、まさにリアルな現実で、人のあたたかさに感動していた僕を、現実に引き戻しました。
まだ何も終わってはいないのだと。