2017年02月05日
脚本塾やります
今月からまた脚本塾を再開することになりました。
八丁堀のユーキーススタジオでやります。
受講料けっこう割高かもしれないけど、分割とか相談にはのってくれるそうです。
東京近郊の人しか受講できないのがもうしわけないけど、地方の人たちにも伝える方法がないか模索したいです。
九州、佐賀、鳥栖とかでもやれたらいいですね。
詳しくは、以下のページを見てね。
https://www.facebook.com/studioyoukeys/
八丁堀のユーキーススタジオでやります。
受講料けっこう割高かもしれないけど、分割とか相談にはのってくれるそうです。
東京近郊の人しか受講できないのがもうしわけないけど、地方の人たちにも伝える方法がないか模索したいです。
九州、佐賀、鳥栖とかでもやれたらいいですね。
詳しくは、以下のページを見てね。
https://www.facebook.com/studioyoukeys/
2016年02月12日
ストーリー脚本教室を書き始めたわけ
僕が今、このブログでストーリーや脚本作りについて、けっこう詳しく書きはじめたのは、先日の鳥栖での講演会とワークショップに行ったことがきっかけでした。
講演会が終わって、僕のところに、何人かの人が話をしに来ました。
そのなかに、「ぼく、高校七年生なんです」という人がいました。
「いろいろあって……」
と、いう彼は小説を書いていると僕に話してくれました。
前に僕の講演会にも来ていて、またどうしても来たかったからと、彼は言ってくれました。
翌日に大学受験が控えているにもかかわらず。
彼が、高校に七年通うことになった理由は、プライベートなことなのでここには書きませんが、よほどのことがあったのはすぐに想像がつきました。
僕も鳥栖で二年間浪人していたことがあるので、人生の中でなんだか宙ぶらりんになっているような状態に関しては、良くわかっているつもりです。
七年生の彼の気持ちも、少しはわかる気もします。
彼はいまから書こうとしているものについて、なにか参考になればと思って、僕の講演会に来たのだと思いました。
なにか彼のためになることをしてあげたい。
そして、またそれが彼と同じように、ちょっと先輩のやってきたことから学びたいと思っている人のためになればいい。
そんな思いから、このブログでの連載をはじめました。
急に、僕のブログでの書き込みが増えたので、驚いている人もいるとは思いますが、そんなわけで、高校七年生が僕の心に火をつけてくれたのでした。
講演会が終わって、僕のところに、何人かの人が話をしに来ました。
そのなかに、「ぼく、高校七年生なんです」という人がいました。
「いろいろあって……」
と、いう彼は小説を書いていると僕に話してくれました。
前に僕の講演会にも来ていて、またどうしても来たかったからと、彼は言ってくれました。
翌日に大学受験が控えているにもかかわらず。
彼が、高校に七年通うことになった理由は、プライベートなことなのでここには書きませんが、よほどのことがあったのはすぐに想像がつきました。
僕も鳥栖で二年間浪人していたことがあるので、人生の中でなんだか宙ぶらりんになっているような状態に関しては、良くわかっているつもりです。
七年生の彼の気持ちも、少しはわかる気もします。
彼はいまから書こうとしているものについて、なにか参考になればと思って、僕の講演会に来たのだと思いました。
なにか彼のためになることをしてあげたい。
そして、またそれが彼と同じように、ちょっと先輩のやってきたことから学びたいと思っている人のためになればいい。
そんな思いから、このブログでの連載をはじめました。
急に、僕のブログでの書き込みが増えたので、驚いている人もいるとは思いますが、そんなわけで、高校七年生が僕の心に火をつけてくれたのでした。
2014年11月04日
大船渡と陸前高田に行ってきました
東日本大震災から三年以上たった。
正直言うと、僕の中ではしだいに悲劇の記憶が薄れ始めていた。東京で日々の生活に追われていると、ニュースの映像で見た大災害が、まるで夢でみたことのような気さえしていたのだった。
今回、震災直後からボランティアとして被災地に入り、大船渡市で『やっぺし祭』というイベントをやりつづけてきている関係者に誘われて、それに参加してきた。このイベントは大船渡の仮設の商店街を少しでも活気づけようと企画されてきたものだ。
ポケモンの脚本を書いている人が行けば、現地の子供たちがきっと喜びますと言われたので、すこしでもイベントの力になればと思ったのでした。
三日間、被災地に行って、そこに生活している人たちとふれあってくるという体験は、僕にもう一度、あの悲劇を思い出させて、現実を見つめ直すきっかけを与えてくれました。
大船渡で僕を迎えてくれた子供たちは、ひとなつっこくて元気でした。
仮設住宅の側の体育館で出会った野球少年たちはシャイで無邪気でかわいらしかった。
『夢商店街』のみなさんは、たくましかった。
しかしまだまだ震災と津波の爪痕はなまなましく残っているし、復興への問題はまだまだ山積みされているし、解決していかなければならないことは、たくさんあると思いました。
しかし岩手の人たちの優しさに触れて、僕は感動しっぱなしの三日間でした。
現地の人たちをはげまそうと行ったのですが、逆に励まされたのは僕の方でした。
今回、ボランティアで祭に参加している人たちと一緒に公民館で二晩寝袋で寝ました。
三年にわたって被災地でボランティアをずっとしてきた人たちには尊敬の気持ちしかありません。
いろいろと考えることが多い体験でした。
東京に帰る前に陸前高田の奇跡の一本松に行ってきたのですが、その周囲で行われているかさ上げ工事の異様な風景が、まさにリアルな現実で、人のあたたかさに感動していた僕を、現実に引き戻しました。
まだ何も終わってはいないのだと。
正直言うと、僕の中ではしだいに悲劇の記憶が薄れ始めていた。東京で日々の生活に追われていると、ニュースの映像で見た大災害が、まるで夢でみたことのような気さえしていたのだった。
今回、震災直後からボランティアとして被災地に入り、大船渡市で『やっぺし祭』というイベントをやりつづけてきている関係者に誘われて、それに参加してきた。このイベントは大船渡の仮設の商店街を少しでも活気づけようと企画されてきたものだ。
ポケモンの脚本を書いている人が行けば、現地の子供たちがきっと喜びますと言われたので、すこしでもイベントの力になればと思ったのでした。
三日間、被災地に行って、そこに生活している人たちとふれあってくるという体験は、僕にもう一度、あの悲劇を思い出させて、現実を見つめ直すきっかけを与えてくれました。
大船渡で僕を迎えてくれた子供たちは、ひとなつっこくて元気でした。
仮設住宅の側の体育館で出会った野球少年たちはシャイで無邪気でかわいらしかった。
『夢商店街』のみなさんは、たくましかった。
しかしまだまだ震災と津波の爪痕はなまなましく残っているし、復興への問題はまだまだ山積みされているし、解決していかなければならないことは、たくさんあると思いました。
しかし岩手の人たちの優しさに触れて、僕は感動しっぱなしの三日間でした。
現地の人たちをはげまそうと行ったのですが、逆に励まされたのは僕の方でした。
今回、ボランティアで祭に参加している人たちと一緒に公民館で二晩寝袋で寝ました。
三年にわたって被災地でボランティアをずっとしてきた人たちには尊敬の気持ちしかありません。
いろいろと考えることが多い体験でした。
東京に帰る前に陸前高田の奇跡の一本松に行ってきたのですが、その周囲で行われているかさ上げ工事の異様な風景が、まさにリアルな現実で、人のあたたかさに感動していた僕を、現実に引き戻しました。
まだ何も終わってはいないのだと。