2017年02月05日

脚本塾やります

今月からまた脚本塾を再開することになりました。
八丁堀のユーキーススタジオでやります。
受講料けっこう割高かもしれないけど、分割とか相談にはのってくれるそうです。
東京近郊の人しか受講できないのがもうしわけないけど、地方の人たちにも伝える方法がないか模索したいです。
九州、佐賀、鳥栖とかでもやれたらいいですね。

詳しくは、以下のページを見てね。
https://www.facebook.com/studioyoukeys/
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 10:39 | Comments(0) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本 | オセッカイザー

2016年04月15日

心に情熱の火をつけること

高校生への脚本とインプロの授業がはじまりました。
週に一回ですけど、ういういしい高校生と交流するのは、毎回新鮮です。
十六年目になります。
ふと気付いてびっくりしました。
新入生の子供たちは、僕が教えることをはじめてから生まれた子たちなんですね〜。

そして二年前一年生だったときに、三ヶ月だけインプロを教えた子たちが、三年生になっていました。
彼らの成長も感じて、高校生の三年間というのは、人間が見た目も精神的にも大きく変化するときなのだというのを、実感します。

自分で言うと自慢になってしまいますが、かなり面白い授業をやっていると思っています。
十五年間、さまざまなトライアンドエラーを繰り返して、メソッドを開発してきましたから。

しかし高校生たちには、テクニックを教えるよりも大事なことがあると思っています。
まだこれから何にでもなっていける可能性の塊のような子たちに必要なのは、自分を自分ではげまして育てていける情熱の火だと思います。
彼らの心に、その火をつけられるようにがんばります。


脚本の授業では、シアターゲーム的なことをやったりしながら、こちこちに固まっている社会性という名の無意識を取っていくことからはじめます。
自由な発想で創作をする脳にしていくのです。
連想ワードゲームなどをたっぷり目にやります。

発想力の基本は、連想力だと思うからです。
無意識を使って創作をする。そこに近づけるようにしていきます。

インプロの授業では、今期は、エクササイズのやりかたを少し変えてみることにしました。
即興の授業なのに、一回目は脚本を使った、本読みから始めました。
脚本から、「感情の変化」を読み取ること。
短いセリフのやりとりの中にも、無数の感情があって、それが瞬間瞬間、変化していることに気付くこと。
それをまず理解するためには、脚本を読むことから始めたほうがいいと思ったからです。

渡された脚本のセリフの横に、「そのセリフはどんな感情で言うのだろうか?」というのを、( )の中に書いていきます。
いわゆるサブテキストを読み取る練習です。それを感情にしぼったやりたかたです。

インプロ(即興劇)でも、まずはちゃんと感情を使ったやりとりのあるシーンを作ることが大事です。
それをするためにも、これから自分たちがインプロでやるようになることに近いシーンを、脚本で読んでおいた方が理解は早いだろうと考えました。

スポーツを始めた選手には、まずは正しいフォームを教えることが大事です。
正しいフォームを知らないまま、自分流でやりはじめると、体を壊したり、いらない癖がついてしまうことが多々あります。
それを避けるためにも、最初に正しいフォームを体験してからの方がいいと思ったのです。

登場人物の感情と、その変化こそが、なによりもシーンを面白くしているのだということをわかった上で、いいインプロができるように指導していきたいです。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 10:01 | Comments(0) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月29日

王道は知っていたほうがいい

ストーリー脚本教室(実践編35)

◯ハリウッド式の脚本術は、いいところもあるけど、決まりきった展開になる場合もある。

 僕が紹介したブレイク・スナイダーの「SAVE THE CAT」とかに代表とされる脚本術にならったものは、いわゆるハリウッド式と呼ばれています。
 大きな制作費をかけるハリウッドの映画などは失敗ができないので、ヒットの成功率の高い脚本というのが求められます。
 ですから王道をできるだけ外さない脚本作りがされている傾向があります。
 逆に言うと、それだけ予測のつきやすい脚本になっている可能性が高いというわけです。
 特にエンターテイメイント性の強い作品などは、そうなることが多いです。

 僕たちが作品を書く場合、それをわかった上であえて王道でいくのか。
 あえてそこを外していくのか、選択をしなければなりません。

◯外すためには、王道を知っていなければならない。

 ハリウッド式の脚本術は、知っておくにこしたことはないと思います。
 それを知っていることで、アレンジも、外していくことも可能になるからです。

 どちらにしても、ストーリーを作り上げていく作業は、とても大変な道を歩いていかなければなりません。
 作り方がわかったからと言って、簡単に作ることができるわけではないかです。
 一歩一歩、地道に進んでいくしかないのです。

 自分が目指す作品に向かって、とにかく前進していきましょう。
 さまざまな書き方やテクニックは、すべてそのための道具なのですから。


◯日本で最初の脚本術の本は「風姿花伝」だと思います。

 世阿弥の風姿花伝は、ご存じでしょうか?

 15世紀の初め頃、世阿弥が書いた能の指南書が、風姿花伝です。
 世阿弥が、父親の観阿弥からならったことを、芸道書として書き記したものです。
 これはもともとは能に関することを書いてあるのですが、脚本の観点からも、とても興味深い書として読むことができます。
 「序破急」の考え方などは、これに記されています。

 とても興味深い書なので、一度読んでみることをお勧めします。  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:40 | Comments(0) |  | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月28日

ネタ切れすることはあるのか?

ストーリー脚本教室(実践編34)

 ここまでできるだけ毎日、ストーリー作りや脚本作りにおいて、自分の知っているコツをできるだけわかりやすく書いてみようとしてきましたが、だいぶネタ切れ気味になってきました。
 われながらよく書いていると思いますけど。(笑い)
 一般的なことは、だいたい書いたような気がします。
 ここからさらに踏み込んで指導していくとしたら、たぶん個人指導的なことになっていくんでしょうね。

 今日は、そのネタをどう仕入れるかについてです。

◯ストーリーのネタは、あらゆるところに転がっている。

 よくこう聞かれます。
「ネタ切れすることはないんですか?」

 そういうときに、僕は今まで、ネタ切れすることはありませんと答えてきました。
 書きたいことがありすぎて、書く時間が足りないと。

 なぜそう言い切れるかというと、ネタは僕らのまわりにいくらでも転がっているからです。

 落語家は、「三題噺」というのをやりますよね。
 関係のない、みっつの要素をもらって、それを結びつけてお話にしていくという、即興落語です。
 これと仕組みは同じだと思ってください。

 身の回りにあるものに、「刺激を受けること」で、そこからストーリーをイメージしていけばよいのです。

 たとえばあなたが、「壁にかかっている時計」を見たとします。
 それはきっとあなたの心の中のなにかを刺激します。
 懐かしさが浮かびあがるかもしれません。
 おじいさんの家にかかっていた、古い時計を思い出すかもしれません。
 それを使うのです。
 イメージは、また次のイメージを呼びさましてくれます。
 そしてそれは、一つのストーリーになっていきます。


◯新聞、雑誌、ニュースにもネタが転がっている。

 毎日なにげなく見ている新聞や雑誌やテレビやネットのニュースにもネタがごろごろしています。
 事件から、ストーリーを思いつくこともあるでしょう。
 ちょっとした、いいエピソードから思いつくこともあるでしょう。
 世界は、ストーリーのネタでいっぱいです。

 あとはあなたが、それを使ってストーリーを練り上げるかどうかなのです。

 ネタ切れを心配する必要は、まったくないのです。


◯持続力も必要です。しかし……

 ネタを見つけても、それをストーリーに育てあげるには、じっとパソコンの前にすわってキーボードを打ち続ける持続力も必要です。

 遊びに行きたくても、飲みに行きたくても、じっと我慢して作業を続けなければなりません。
 それができるかどうかにかかってます。

 でもそれで現実の人生を無駄にしてはいけません。
 出ていけば面白い体験ができるとわかっているなら、そこに行かないことを選んではだめです。
 書くのは後でもできますから。

 ストーリー作りと、幸せな現実の人生とどっちを取るかと聞かれたら、現実の人生を選んでください。
 そこで生きた体験をすることが、さらにあなたのストーリーを面白いものにしてくれるはずだからです。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 05:04 | Comments(0) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月24日

日常でのトレーニング(遊び)について

ストーリー脚本教室(実践編30)

◯トレーニングについて

 僕はストーリー作りも、他の技術をようするスポーツ、仕事、アートなどと同じようにトレーニングが必要だと思っています。

 技を維持し、さらに磨いていくためのトレーニングです。

 前にウォーミングアップはいくつか紹介しました。(言葉のウォーミングアップ)
 連想ゲームなどです。
 今日、いくつかトレーニング方法も紹介したいと思います。

◯名前をつけるトレーニング(遊び)

 登場人物の名前はというのは、とても大事です。
 その人物の最初のイメージを喚起するのが、名前なのかもしれません。
 登場人物の人物像がパァッとイメージできるような名前をつけてあげましょう。

 それで名前をつけるトレーニングです。
 僕がよく遊びでやっているのは、道を歩いていて、前から歩いてくる人をパッと見て、その人からイメージして、かってな名前をつけるゲームです。

 いざやってみると、なかなかすぐには出てこないものです。
 平凡な名前は出てきたりしますが、特徴をイメージできるようなものは、すぐには出て来ません。
 でも、それでもいいのです。
 その意識付けさえできていれ。

 登場人物の名前は大事だという意識付けさえできていれば、いざつけるときに、いい名前を見つけることができます。

◯いろいなバージョンで名前をつけます。

 たとえば、
「外国人」バージョン。
 マリリン、サーシャ、フランシス、メイリン、などカタカナ名前がすんなり出てくるようにします。

「時代劇」バージョン
 おさよ、長治郎、源之助、剣太郎左衛門、などなど。

「ファンタジー」バージョン。
「アクションサスペンス」バージョン。
「宝塚女優」バージョン。
 などなどいろんなジャンルなどにあわせた名前をつけて遊びます。


◯関係性作りトレーニング(遊び)

 これも歩いていて、前から歩いてくる人をつかったトレーニングです。

 その人をパッと見て、自分にとって、その人がどういう関係なのかをイメージするのです。
 関係性というのは、いろいろあります。(実はそれほどバリエーションはありません。)
 親子、友人、恋人、夫婦、会社の上司、親戚、昔の同級生、などなど……。

 ストーリー作りには、登場人物同士の関係性を描いていくことは、必要不可欠です。
 ある意味この関係性を作ること、その変化を描くことこそが、ストーリー作りなのかもしれません。

 どんな関係性を思いつくことができるのか。
 これはそこに意識付けをするためのトレーニング(遊び)です。


◯トレーニング方法を作ろう

 自分のストーリー作りの技術をあげるためのトレーニングを、遊び(ゲーム)だと思ってください。
 新しいゲームを作って、それを遊ぶのだと。
 そうすれば日常のすべてが、遊び場になり、トレーニングの場とかわっていきます。

 新しいゲームができたら、僕にも教えてくださいね。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:35 | Comments(0) | 散歩 | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月23日

スランプはあるのか?

 ももさんから「スランプになったことはありますか? スランプになったらどうしますか?」とのコメントがつきましたので、お答えします。

 スランプというものが、どういう状態なのかは、人によって違うと思います。

 どういう状態でしょうか。

1、書こうとしても、いいアイディアが出てこない。
2、書いているのに、なかなか進まない。
3、書きたくない。
4、書けるけど、いいものが書けない。

 以上、四つくらいの状態があるでしょう。

 こうやって書いてみると、たしかにどれもありますね。
 意識したことはなかったですけど。

 ということは、僕はスランプになったことはあるということですね。
 しかし意識していなかったということは、それにたいして何もしていなかったということ。
 とりたたてそういう状態になったからといって、無理をしてなんとかしようとせずに、自然にまかせて焦らずに待つと、いつのまにかそういう時期は過ぎていきます。

 自然治癒力を信じて待つのです。

 散歩するとか、読書するとか、映画を見るとかして、脳の免疫力をたかめながらね。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 06:54 | Comments(0) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月22日

僕が大事にしている、感情のこと

ストーリー脚本教室(実践編29)

 ドラマの中で、何を大事にするのか。

 これから書くのは、自分ならば何に興味を引かれるのかについてです。

 物語を読んだり、ドラマを見たりしているときに、僕は登場人物の気持ちの動き、その変化にもっとも引きつけられています。

 ストーリーの構成とか、展開は、その次です。

 とくに主人公の気持ちが、どう動いているのか。
 (主人公に感情移入ができないときは、物語に入っていけないし、ドラマにも乗れないので、問題外ですけど)
 主人公を見続けたいと思う、一番の大きな理由は、この主人公の満たされない(たいていの場合は主人公は満たされていません)気持ちが、最終的にどうなっていくのかが気になるのです。

 みなさんは、どうですか?


◯『感情線』は間違っていないか?

 「感情線」とは、登場人物たちの気持ちの流れのことです。
 シーンとシーンの間で、登場人物の感情は変化していきますが、その流れのことをこう呼びます。

 これに矛盾があってはこまります。
 観客(読者)が、とたんについて行けなくなってしまうからです。
 ストーリーをつくるときには、この感情線がおかしくなっていないかどうかチェックすることは大事です。

 書いたものを読み返していて、なんか変だと感じたときには、この『感情線』をチェックしてください。

 前に「感情を動かすことは、ストーリーを展開させる」というようなことを書いたと思いますが、いくら感情が動いていても、感情線を間違って動かしていてはダメです。

 ちゃんと感情線にのっとって、動かして行きましょう。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 08:17 | Comments(0) |  | 映画 | テレビ | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月21日

書きたいものが無かったらどうする

ストーリー脚本教室(実践編28)

◯作家(あなた)に書きたいものはありますか?

 ほとんどの作家には、書きたいものがあるはず。
 そう多くの人は思っていることだと思います。
 果たして、それがない作家というものはいるのでしょうか?

 実は、僕には、それがありませんでした。

 「書く」ことは好きで、やめられないくらい中毒なんですけど、「書きたいこと」というのは、とりたてて無かったのです。

 なんとなく「好きなこと」を「書きたいこと」だと思っていました。

 飲みの席で、先輩の脚本家さんに「おまえの書きたいものはなんなんだ?」と聞かれたことがあります。
 そのとき、答えに困ってしまったことを、はっきりとおぼえています。

 それからというもの呪いのように、この先輩の言葉が僕の頭のどこかにひっかかっていて、いつも僕に問いかけてきます。
「おれの書きたいことってなんなんだろう?」

 もう何十年も脚本家として仕事をし続けているのに、これが見つかっていないというのは、どういうことなんでしょうかね。

 ただ物語を書き始めると、「その物語で書きたいこと」というのを、見つけてしまうのです。
 書き始める前には、思いも寄らなかった「書きたいこと」が、ふわーっと浮かび上がってくるんです。

 それがあるから書くことをやめられないのかもしれません。

 僕は物語を書き始める前は、何にもない、からっぽの状態です。

 何もない状態のところに、物語の種が植えられると、その種をちゃんと育てて、実をむすばせるために全力を注ぎはじめます。
 まさに農夫が、畑に種をまいて育てはじめるように。

 僕のやりかたというか、タイプは、一つの例だと思ってください。
 他にもいろんなタイプの作家がいると思います。
 ただもし僕みたいに、書くのは好きだけど、「何が書きたいのかわからない」という人もいるかと思うので、僕の体験を隠さずに書いてみました。

 ただし、「自分らしさ」というのは、どんな物語を書いたとしても、そこににじんでいくものだと思います。
 同じものを書いても、書く人が違えば、違うテイストになるのだと思います。
 だからこそ世の中に、同じようなタイプの物語がたくさんあっても、別のものだとして楽しめるのでしょう。

 「どんなものを書いても、自分らしさは出てしまう」
 そう思ってください。
 僕は、そういうものだと思います。

◯誰かのために書く。

 自分のためではなく、誰か他の人のために物語を書く。
 そういうこともあると思います。

 というか、実はこっちのほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。

 自分の満足のためだけではなく、観客(読者)を満足させるための物語。
 多くの作家は、そのために書いているのではないかと思います。

 もちろん観客(読者)の姿がはっきりと見えている場合と、見えていない場合があるでしょう。
 でも自分の書いている物語が、だれにむかっているのかというのは、作家は感じているのではないでしょうか。

 前にも、これに似た記事を書きましたが、今日はこれを書きながら、自分の考えがよりはっきりしてきました。

◯書きたいけれど、書きたいことがない。

 もしあなたが、そういう状態だとしたら、打開策はあります。

「誰かのために書く」
 そう決めるのです。
 その相手は、あなたが喜ばせたい相手であればいいでしょう。

 その相手を、目に浮かべて、どんな物語をプレゼントすれば喜ぶかを考えるのです。
 モチベーションも上がり、物語のヒントがおそらくふってくることでしょう。

◯相手を喜ばせるために。

 これがキーワードです。
 書きたいこと、物語を自分に引き寄せるため、ぜひこれを使ってみてください。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 13:14 | Comments(0) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月21日

知りたいことがあったら、コメントつけてね

ストーリー脚本教室(実践編27)

 前回の実践編では、直しは何度でもしようということを書きました。

 このブログの記事、ストーリー脚本教室、書き始めてからほぼ休んでなかったのですが、さすがに昨日は仕事とか、友人の結婚式とかあって休んでしまいました。
 幸せな現場に立ち会うというのは、こちらも幸せな気分になっていいですね。

 ブログのことに戻ります。
 実践編と言うからには、実際に書くときに役立つものの方がいいですよね。
 じっさいのところ、みなさんは、どういうことを知りたいですか?
 知りたいこととかあったら、遠慮なく、このブログのコメントらんに書いてくださってけっこうです。

 コメントは、一応、僕が承認してからアップロードされるしくみになっているので、ちょっと時間差がでるかもしれませんけど、そこのところはよろしくお願いします。
 以前、コメント欄に、エッチなサイトへの誘導コメントとか載っけられることがあったので、承認してからアップされるようにさせていただきました。
 ご了承ください。

  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:32 | Comments(5) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月18日

その瞬間を生きること

ストーリー脚本教室(心構え編15)

 僕が作家になるまで、その4。

 劇団に入って、出演と演出助手をやりながら、演劇をどうやってつくるのかを学びながら、僕は自分の作品を書き始めました。
 僕が書いたものを、いきなり劇団で上演してもらえるわけもないので、自分でやるしかないと思いました。

 大学に演劇をやっている人たちがたくさんいました。
 時代は学生演劇も盛り上がっていました。
 学内にも、いくつも演劇団体があり、他の大学にもさまざまな劇団がありました。
 僕もよその大学の演劇団体などとかかわるようになっていました。
 俳優やスタッフを集めようと思ったら、わりと簡単に集めることができました。

 協力してくれる人たちに頼み込んで、大学の近くの小劇場を借りて、一本目の作品を上演したのです。
 タイトルは「ファイヤーボール」のちに、この作品を書き直して「ファンタスト」として再演しました。
 二本立て公演で、もう一本は師匠の森さんに脚本をお借りした児童劇でした。

 このときは脚本演出出演もしていて、無我夢中でした。
 せまい劇場だったので、超満員になり、とうとう舞台上にもお客を入れての上演の回もでる始末です。
 しかしなんだかものすごい高揚感の中にいたのをおぼえています。

 かくして僕の脚本家としての人生がスタートしたわけです。

 なにかを書いて生きて行けたらいい。
 そう思っていた小学五年生は、いつのまにか大学生になっていました。

 大学時代は、劇団日本と、自分がプロデュースして上演するグループや他の大学の人と作る物に参加したりして、演劇三昧の日々を送りました。
 それと同時に映画の脚本を書きたいという夢も抱くようになり、大学生の間に、とにかくたくさんの映画を見ようと決意して、(当時は名画座というものがけっこうたくさんあり、わりと安く映画を見ることができたので)映画を見まくりました。

 今ならDVDとかネットがあるので、見たい映画をいくらでも自分の部屋で見ることができますが、当時はビデオはまだまだ高価でした。
 名画座巡りが、僕の日常になりました。
 年間300本くらい見ていたと思います。
 映画館で映画を見ながら、メモをとって、あとで映画の構成を分析するのが、僕の脚本修行のやりかたです。

 映画ノートというのを作って、それに映画の感想や、気に入ったセリフなどなんでもメモをしていくのです。
 とにかく他の人の作品から、脚本の書き方を盗み取ろうという気持ちでした。
 脚本の書き方(指南書)のたぐいも、手当たり次第に読みました。
 このときは脚本教室に行くとか師匠について修行するという発想は、まだ僕にはありませんでした。
 演劇の練習をしているか、映画館で映画を見てメモをとっているか、毎日そんな感じです。

 ミステリー小説を書きたいと思っていたので、大学でそういうサークルはないかと探したら、ミステリーがなくてSF研究会というのがあったので、面白そうだと思って、そこに所属しました。
 明治大学のSF研究会というのは、同人誌活動などをやっている先輩たちがいて、なかなか面白い人たちが集まっていました。
 SFだけではなく、コミック全般、アニメなどにやたらと詳しい人たちもいて、ちょうどコミケットというのを先輩が立ち上げようとしていました。(僕もその分野に関しては、誰にもまけないというくらい自信があったので、もってこいです)
 第一回のコミケの立ち上げに手伝いに行った記憶があります。
 コミケが、その後ものすごいことになっていくのは、みなさんご存じですよね。

 劇団、大学演劇、SF研究会、映画館。
 この四カ所をぼくは、ぐるぐるまわりながら、脚本修行をつづけました。

 いつのまにか、書くことが日常になり、自分は書いて生きていくんだという気持ちもはっきりとしたものに育っていたのでした。
 舞台の脚本も何本か書き、上演したことで、自分の中に自信のようなものもついてきていました。
 根拠は何もないんですけどね。
 がむしゃらでした。

 このあと、ついに僕はプロとしての一歩を踏み出すことになります。
 それはまた次回ね。



◯未来は見えなくとも

 自分のやっていることを、自分で認めること。
 自分自身を自分が受け入れること。
 これはとても大事なことだと思います。
 実は、これは案外難しいんですよね。

 人は、すぐに批評家になってしまいます。
 他の人のことだけじゃなく、自分自身に対しても。

 自分を批評してしまうと、欠点ばかりが目についてしまいます。
 批評家にならずに、あくまでもクリエイターとして、自分を認めてあげること。
 ダメなところ、失敗もふくめて、自分を自分で受け入れることができたらいいんです。

 いまなら、そういうこともよくわかります。

 未来のことなど、わかるわけありません。
 ましてや自分がどうなっていくのかなんて。

 道も見えないところを歩いていかなければなりません。
 目の前のこと、その瞬間瞬間を大事にして、自分のできることを全力でやること。
 それがその瞬間、もっともやりたいことであるなら、きっと後悔はないはずです。

 さまざまな困難や、障害があなたの目の前に立ちふさがるかもしれません。
 それで引き下がらずに、それらの困難や障害も、自分のストーリーを面白くするためのものだととらえることができたら、しめたものです。
 きっと本当に面白くなっていくでしょう。

 自分を受け入れて、外に心を開き、さまざまな出来事や人に出会っていくこと。
 これがあなたのストーリーを面白くしてくれます。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:14 | Comments(0) | 映画 | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月16日

鳥栖での青春時代。テムジンのことなど。

ストーリー脚本教室(心構え編13)

僕が作家になるまで2

 前回は、僕が鬱々とした浪人時代を送っていたことを書きましたが、今思えば、それほど鬱々とはしていなかった気がします。(どういうこっちゃですよね)

 読書三昧だし、映画もけっこう見ていたし、毎日外を出歩いて楽しんでいたのでした。
 ただ飯を食わせてくれていた両親には、本当に感謝です。

 鳥栖で出会ったいろんな人たちにも僕は楽しませてもらっていました。
 喫茶「テムジン」には本当によく通いました。
 ほとんど毎日かよっていたかもしれません。

 当時は喫茶店文化花盛りで、町にいくつも喫茶店があって、そこにいろんな人がたむろってました。
 おもに人生の先輩方です。
 そして僕よりはちょっと人生の先を歩いている同年代の仲間たち。
 喫茶店に通ううちに、そういう人たちと顔なじみになり、ときどきは遊びにも誘ってもらえるようになりました。
 その人たちと、いろんなことを話すのがとても楽しかったのです。

 それに喫茶店には、僕を一人前にあつかってくれるオーナ家族の美人三姉妹がいました。
 彼女たちと話していると、気持ちがパァッと明るくなる気がしました。
 でもはたから見たら、だめだめ浪人生です。
 肩身が狭いのはしかたありません。

 それでも常連の人たちに一緒に夏の海に連れて行ってもらったりして羽を伸ばしてました。
 このとき後にシーナ&ロケッツで大活躍する鮎川夫妻がいらっしゃってて、妊娠中でお腹の大きなシーナさんが海で遊ぶ僕達を優しく見つめてくれていたのを、いまでもおぼえてます。シーナさんが亡くなったというニュースを見たとき、その日のことを僕は想いだして切なくなりました。
 他にも、この喫茶店に集まってる人達との交流の日々は、僕の大事な青春の一ページでした。

 ある日、ぼくがテムジンに行くと、美人三姉妹の一番上のおねぇさんであるヒロミさんと二人になったことがあります。
 どういう流れで、そんな話をすることになったのかはおぼえてませんが、僕はヒロミさんに、将来作家になりたいんだと、言ってしまいました。
 それまでは心の中で想っているだけだったのですが、他人にそれを言ったのは、そのときがはじめてでした。
 かなり気恥ずかしかったです。
 でもそれを口に出すことで、僕の想いは強くなった気がします。
 ヒロミさんは、ぼくにがんばりなさいと言ってくれました。とても嬉しかったです。
 ただの夢だったものを、認めてもらった気がして。

 そのときの答えというか、ヒロミさんの励ましに、僕が返せたのは何年もたってからのことです。
 脚本家として仕事をするようになり、小説もジュニアノヴェルを書き始めて、何冊か文庫本を出せるようになった僕は、出来上がった本を持ってテムジンを訪ねました。
 ヒロミさんに本を渡すと、本当に喜んでくれました。
 その笑顔を僕は忘れません。
 そのときは、数年後にヒロミさんが亡くなるなんて思いもよりませんでした。
 僕の中に残っているヒロミさんの笑顔は、いつまでも若いままです。

 浪人生活を送っていた二年間。
 鳥栖で僕を楽しませてくれていたのは、喫茶テムジンとそのまわりに生きていた鳥栖の人たちでした。

 僕の物語は、油屋書店の児童書コーナーに戻ります。 
 森忠明作「風はおまえを忘れない」を見つけたときのことは、今でもはっきりおぼえています。
 おぼまことさんの表紙の絵と、タイトルに引かれて立ち読みしはじめたら、一気に引きこまれてしまったのです。
 迷わず買って帰って、最後まで読みました。
 感動しました。
 自分が読みたかった少年小説がこれだと思いました。
 なんだかすごく背中をおされた気がしました。(勇気をもらいました)

 その晩、生まれてはじめて作家に手紙を書きました。
 自分の感動のお礼がいいたかったのです。
 ぶしつけな手紙だったと思いますが、僕は素直に、自分の喜びを作家に伝えました。

 思いもしなかったのですが、しばらくしたら返事をもらいました。
 そこには謝辞と、東京にきたら会いにおいでという、優しいメッセージが書いてありました。
 僕が喜んだのは言うまでもありません。

 ようやく東京の大学に入学してしばらくたったころ、僕は思いきって、森さんに会いに行きました。
 立川の駅で会ったあこがれの作家は、思ったより若く(実際、九つしか離れていません)、長身サングラスのすごみのある人でした。
 森さんは、初対面の僕に対して、いろんなことを話してくれました。
 それは、ものすごいエネルギーで。
 僕は不思議でした。
 ただの小説のファンで、ひょっこり小説家に会いにきた自分に、こんなにも手厚く対応してくれるのは、なぜなんだろうと。

 森さんは言いました。
 「自分がしてもらったことを、ただ返しているだけだ」と。
 森さんは、寺山修司にかわいがられた人でした。高校生のときに、学研の雑誌に掲載される高校生の詩の選者を、寺山さんがやっていて、森さんの詩が寺山さんに選ばれて、何度も掲載されていたのです。
 そのかかわりから、寺山さんが劇団天井桟敷をたちあげたときに呼ばれて、寺山さんから大きな薫陶を受けていたのでした。
 森さんは、寺山さんのこと、当時天井桟敷から出て活躍していた東京キッドブラザースの東ユタカさんとのエピソードなどを僕に惜しげもなく教えてくれました。
 寺山さんや東さんにしてもらったことを、森さんは、僕に対してしてくれていたのでした。
 それらの話は、とても興味深く、作家志望の僕の胸に突き刺さりました。
 そして森さんは、僕に演劇をやったほうがいいと言いました。
 きみがやりたいと思うのなら、天井桟敷か東京キッドブラザースのどっちでもいいから紹介してやるとまで言ってくれました。
 それまで演劇には、ほとんど興味がなかったのですが、自分のあこがれる先輩が言ってくれるからには、なにかがそこには意味があるのだろうと僕は思いました。

 当時の僕は、演劇などほとんど見たこともなく、戯曲もほとんど知りません。
 天井桟敷やキッドブラザースといえば、演劇界の中心です。
 正直、敷居が高く感じました。
 時代は学生運動の嵐がようやくおさまり、演劇界ではつかこうへいが新星として輝き、唐十郎の紅テント、そして黒テント、それらに影響を受けた第三世代の学生劇団などが多く活躍するようになっていました。
 演劇ブームです。それらの近くにいることになった僕は、ようやく演劇を始めようかとしている、ど新人でした。

 さすがに森さんに紹介してもらうのは、はばかれたので(どうしてその時そう思ったのかは今でもわかりません)自分で演劇をやってみようと思い、大学で演劇のゼミを取りました。(専攻は政治経済学部だったのに演劇のゼミがあったのです)
 蔵原惟治ゼミ。蔵原先生は、脚本家でもあり、人柄も温厚ですばらしい先生でした。この人にはじめて指導を受けたのが僕の演劇人生のスタートです。
 ゼミは映画の分析を前半やって後半は演劇の公演をやるというものでした。

 そして僕はスポーツ新聞の片隅に乗っていた俳優募集の記事を見ることになるのです。
 これが僕の演劇の師匠との出会いでした。

 書き始めたらけっこう長くなりそうです。続きは次回に。  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 16:47 | Comments(0) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月14日

僕が作家になるまで、その1

ストーリー脚本教室(心構え編12)

 僕が脚本家という仕事を意識したのは、思い返すと小学校の五年生くらいのときだったと思います。
 井上ひさしの「ブラウン監獄の四季」という本を読んだのです。(さっきまでこの本のタイトルを、「ブラウン監獄の日々」だと思いこんでました。笑い)
 半世紀近く前のことです。(もうそんなに時間が流れたのですねー)
 これはテレビの世界で脚本家として生活する、若き井上ひさしの伝記的な作品でした。
 ブラウン管の向こう側の世界が活き活きと描かれていました。

 井上ひさしという名前は知っていました。
 いや、もしかしたらこの本で知ったのかもしれません。どっちなのか記憶はあいまいです。
 とにかく井上ひさしが、自分が大好きだったNHKで放送されていた「ひょっこりひょうたん島」の脚本を書いていた人だということを知ったのです。
 そして大好きだった「てんぷくトリオ」のコントも書いていて、芝居の台本や小説も書いていて、大活躍している作家であることを。
 とりわけ「ひょっこりひょうたん島」は、僕の大好きな番組の一つでした。
 脚本家という仕事があることを、はっきり意識した瞬間でした。

 小学生の低学年の時から、本を読むのは大好きでした。
 入りは偕成社の偉人伝シリーズ。そしてさまざまな児童書。少年向けの推理小説。そして少年サンデーや少年マガジンなどの少年漫画誌。
 さらに近所に貸本屋があったので、店一杯のコミックス本の数々にひたるのが、少年時代の僕の日常だったのです。

 そのなかにテレビアニメや特撮が入ってきて、僕の生活は「物語」で一杯になりました。
 まさに夢中で物語を取り込んでいっていたと思います。

 そのころからだったと思います。
 僕にとって、書くことが日常になったのは。

 まだ物語を書きだしてはいなかったのですが、日記や詩をノートに書くようになりました。
 日々、心に浮かんだことを、ノートに吐き出すように書いていたと思います。
 書くことが自分の精神を安定させてくれることも、純粋に楽しいことも、このころ感じていました。
 絵本をつくったり、短いストーリーも書き始めました。

 いまでもハッキリ憶えている作品化したものは、中学の文化祭でクラスで短い芝居をやることになったときです。
 十五分ほどの寸劇を書いて、演出、出演もしました。
 田代中学校という学校に通っていたので、作品のタイトルは『田代市物語』。
 当時見ていた、勝新太郎の座頭市物語のパロディでした。
 クラスの男子生徒たちで悪ふざけのようなお芝居したのを、今でもおぼえています。
 (僕は岡っ引きの役をやりました。市に斬られたことはいうまでもありません)

 この頃から将来は作家になりたいという気持ちが、ハッキリしたものになっていったような気がします。
 部活動は陸上部で中長距離をやっていたので、まいにちロードを走りながら、頭の中では散文詩を作ったり、ストーリーのアイディアを考えたりしていました。

 高校に入学してからは、陸上部と同時に文芸部にも入って、創作活動をさらにするようになりました。
 短編小説を書いたり、やっぱり詩を書いたりしてました。
 この頃の僕は、作家にあこがれてはいても、どうしたら作家になれるのか、なにもわからずただ本や漫画やテレビドラマばかりを見ていた気がします。

 高校に入学するまでは、そこそこ成績も良かったのですが、大学のための受験勉強というものに興味がまったく持てずに、成績は急降下。
 当然のように大学受験に失敗。
 かといって勉強への情熱は、それほどあがることもなく、浪人生活という自由時間をさらに読書と創作の時間に費やしていきます。
 どうしても東京に行きたかったのに、また受験に失敗してしまいます。
 宙ぶらりんの状態で、どこにも居場所がない気がしました。

 このころは、まさに世界に取り残された気分でした。
 しかし本を読む時間は、たっぷりあったので、とにかく手当たり次第に好きな本を読んでいました。
 ミステリーもSFも、とにかく図書館にある本を全部読む勢いで読みました。
 近所の貸本屋の漫画本も、ほとんど読んだと思います。

 今思えば、この時期に、僕自身のストーリー作りの下地は出来上がったのだと思います。
 二年間、本ばかりを読んで過ごした、宙ぶらりんのあの時間が。

 そんな二年目の浪人生活も終わりに近づいていた日、本通りの油屋書店で一冊の本に出会います。
 以後、僕の心の師匠になる児童文学作家、森忠明の『風はおまえを忘れない』(ポプラ社刊)です。
 小学生向けのこの本との出会いが、僕のその後の人生を変えていくことになります。

 (続きは、次回)
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 11:27 | Comments(1) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月13日

師匠を見つけたら、弟子入りも悪くない

ストーリー脚本教室(実践編26と心構え編11)

 前回は、自分が書いたものを読み直した時に感じる『違和感』について書きました。
「なんか、ちがうなぁ」「いまいちだなぁ」「ん?」「これでいいのかな?」
 など、ふとわきあがる気分です。
 これは無意識が教えてくれている警戒信号なので、そこは要チェックすべきだということ。

◯直しは、何回でもやりましょう。

 作品作りには、ある意味終わりはありません。
 どこかの時点で、「これで完璧!」と思い切って決定稿にしなければなりませんが、そのときが来るまでは、しつこくしつこく粘って、よりよきものにする努力を惜しまないでください。

◯決まりは無いけど、『こつ』はある。

 ストーリー作りは、ある意味芸術(アート)の仲間です。
 芸術には、ルールはありません。
 こうしなければならないという、既成概念などらくらくと飛び越えて想像力を使って、作家のやりたいことをやり、常識の枠を拡げていくのもアートの力だと思っています。

 しかしルールがないからと言って、観客に受け入れられずらいものを作ってよしとしていいのかというと、そうではないはずです。

 あなたがより多くの人に、自分のつくるストーリーを届けたいと思うならば、ストーリー作りの「こつ」は知っていたほうがいいと思います。
 僕は、そういうものに近づく方法を、ここでは書いてます。

◯さまざまなストーリーの書き方の本が出てます。

 僕がここで書いているよりも、より具体的で、直接的な指南書というべきものが、世の中にはたくさん出版されています。
 脚本の書き方の本もいろいろあります。
 以前にブレイク・スナイダーの本は、ここでも紹介しました。
 鳥栖の図書館は、わざわざこの本を購入してくださったようです。
 ありがとう鳥栖市立図書館!

 その手の本を読んで損はいっさいありません。
 そこに書いてあることにとらわれすぎたり、それを読んで、知識だけ身につけて、それで満足してもらったら、それはそれで困りますけどね。

 自分はまだ「発展途上なのだ」と思うことは大事です。
 そしてそれをポジティブにとらえて、まだまだ身につける余裕があると思ってください。
 他人の知恵やアイディアをどんどん受け入れて、自由で柔軟なストーリー脳にしていきましょう。

◯師匠を見つけたら弟子入りもいい。

 前にストーリー脚本作りは職人の仕事に近いということを書きました。
 職人の仕事、技術というものは、教えられるものです。
 職人の世界では、技術を身につけるためには、師匠のところに弟子いりして、そこで師匠の技を教えてもらったり、盗んだりしながら、弟子は育っていきます。

 脚本に関しては、この師匠に弟子入りというのもありです。
 あなたがもし、脚本を書きたくて、この人に教わりたいという人がいたら、その人のふところに飛びこんで、弟子入りさせてもらうというのも、一つの方法だと思います。
 もちろん向こう側の都合もあるでしょうから、ごりおしはだめですけどね。

 脚本教室的なものもあります。
 シナリオ作家協会や日本脚本家協会などが主宰している脚本教室とかね。

◯自力で身につけるのももちろんありです。

 僕自身は、児童文学の作家の森忠明さんの弟子です。
 しかし師匠は影像の脚本家ではないので、いわば心の師匠という存在です。
 脚本の技術は、自力でなんとか身につけてきました。
 さまざまな本を読んで、そこからいろんなやり方を学ばせてもらいました。

 僕が、どんな風にして脚本の技術を身につけようとしてきたかは、また次回に書きますね。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:52 | Comments(0) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月12日

感情に敏感でいましょう。

ストーリー脚本教室(心構え編10)

 『感情』を使うことが、シーンのエンジンになると前に書きました。
 ちょっとここで、感情ってなんだろう? って、立ち止まって考えてみましょう。

 感情の種類って、どんなのがあると思う?
 って聞かれたら、あなたはいくつくらい答えられますか?
 ちょっとやってみてください、けっこう難しいですよ。
 はい、スタート!

 どうでした?

 『感情』
 われわれは毎日、あたりまえのように使っていますが、これはどこから来るものなのでしょうか?
 ウィキくんは、こう教えてくれてます。

 感情(かんじょう)とは、ヒトなどの動物がものごとやヒトなどに対して抱く気持ちのこと。喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖などがある。

 感情の一覧。

 安心、不安 感謝 驚愕、興奮、好奇心、性的好奇心 冷静、焦燥 (焦り) 不思議 (困惑) 幸福、幸運 リラックス、緊張 名誉、責任 尊敬 親近感 (親しみ) 憧憬 (憧れ) 欲望 (意欲) 恐怖 勇気 快、快感 (善行・徳に関して) 後悔 満足、不満 無念 嫌悪 恥 軽蔑 嫉妬 罪悪感 殺意 シャーデンフロイデ(他人の不幸は蜜の味) サウダージ(郷愁、憧憬、思慕、切なさ、などの意味合い) 期待 優越感、劣等感 恨 怨み 苦しみ 悲しみ、切なさ、感動 怒り 諦念 (諦め) 絶望 憎悪(愛憎) 愛しさ 空虚

 さすがウィキ君。物知りです。
 僕達はふだんの日常で、しごく当たり前に感情を使って生活しているので、その感情がなんなのか意識して使っていることはほとんどありません。
 だからいきなり感情には、どんな種類があるのなんて聞かれても、なかなか急には思いつかないものです。

 意外にたくさんありましたね。(笑い)

◯感情は、なぜあるんだろう?

 ふと思いました。
 感情って、いつから抱くんだろう?
 生まれたばかりの赤ん坊にも感情はあるんだろうか?

 「おぎゃ〜〜」って、泣くときには、感情があるんだろうか?

 言葉を持たない、赤ん坊が泣いたり、微笑んだりするのは、なんなんだろう?
 学んだわけではないのに、それをするということは、それはおそらく「本能」「遺伝子」に組み込まれている「生命保存」のためのシステムなのでしょう。
 われわれは、もしかしたらそれを「感情」と名づけたのかもしれません。
 感情を生命維持のためのシステムと考えたら、基本的な感情がなんであるのかが理解できます。
 命の危機を回避するための、「恐怖」(襲ってくる外敵を警戒しなければならない)。
 命を存続させるための「喜び」(食べていいものか、悪いものか判断しなければならない)。
 恐怖と喜びは、われわれが生まれたときから持っているものなんだろうと思います。
 他の感情は、あとで学んで身につけていくものなのかもしれません。

◯ストーリーを作るときに、もっもと強いエンジンになってくれるのは『感情』です。
 われわれはできるだけ多くの感情をつかいこなせるようにしたいものです。

 じゃあどんなときに、われわれは感情を引き出しの奥から引っぱりだしてくるのか?

◯感情は、相手によって引き出される。
 人が感情の変化を起こすのは、相手があってこそです。

 ストーリーも、基本的には人と人との関係性と、その変化を描いていくものです。
 このときにストーリーを動かしていくエンジンの一つが「感情」であるということは、前にも書きました。

 主人公とその相手。
 その関係性の中で、どんな感情が起きるのか。
 起こしていくのか。
 それがストーリー作りのベースにあります。

◯感情に敏感でいましょう。

 より良いストーリーをつくるためにも、より良い人生を送るためにも、自分と自分にかかわる人たちの感情には敏感でいたいものです。
 それがあなた自身のストーリーを面白くさせてくれるはずだから。  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 10:40 | Comments(0) |  | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月10日

感情をエンジンにしてください

ストーリー脚本教室(実践編25)

 あなたのストーリーに、翼を! の続きです。

◯感情は動いているのか?

 あなたが書いたストーリーの中の、一つのシーンに、なんとなく違和感を感じたとします。
「んー、なんだろ、なんかあんまり面白くないなぁ……」
 ストーリーは進んでいるんだけど、平板な気がします。
 自分で組んだ構成の通りに書いてるはずなんだけど、なんか足りない……。
 そんなときは、あなたの無意識が、警戒警報を鳴らしているのです。

 なんとかしましょう。
 しなければなりません。
 翼を! です。

 警戒警報がなる理由がなんなのかわからないときの、チェック方法の一つは、そのシーンの中で登場人物の感情が動いているかどうかを見ることです。

 たとえば、そのシーンは、一年ぶりに親友同士が再会するシーンだったとします。

山田「ひさしぶりだね、鈴木くん」
鈴木「うん。一年ぶりくらいか。元気そうだな、山田も」
山田「ああ。元気にやってる」
鈴木「よかった。どうしてるかと思ってたんだ」
山田「ごはでも食べようか」
鈴木「うん、行こう」
   二人はカフェに入っていく。

 だめなシーンですね。
 ちっとも面白くないし、見事なダンドリ芝居になってます。
 それに『感情』の変化が足りません。
 一年ぶりに会ったんです。もっと感情が動いて当然じゃないですか。もしかしたら、二人は、なんかの事情があって離ればなれになったかもしれないのに。
 感情を動かしてみましょう。

   山田、鈴木を見て絶句する。
山田「…………」
鈴木「山田……」
   二人、しばらく黙ったまま見つめ合っている。
   山田、感極まって泣き出す。
鈴木「何で泣いてんだよ……」
山田「だって……」
   山田、うれしさが爆発して、鈴木に抱きついていく。
山田「鈴木ーー、会いたかったよォ!」
鈴木「おい、やめろよ、人が見てるよ」
山田「すずきーーっ!」

 うん、ずっとよくなりました。
 なんだか次に期待できる流れが出てきましたね。
 これくらい山田が喜んでるからには、二人の間で、きっとなにかがあって別れたに違いないって思います。
 このあとも、二人の関係がどうなっていくのかに期待が持てます。

 なによりもシーンのエネルギーがあがりました。
 ただ、より感情を動かしただけです。

 日常生活の中では、われわれはできるだけ感情を表に出さないようにして生活しています。
 それほど大きな感情を動かすようなできごとは、しょっちゅうは起きないし、あまり人前で感情をあらわにすることを抑える習慣があるからです。
 しかし、ストーリー作りにおいては『感情の変化』は大いに使うべきことです。

 『感情』は、ストーリーを動かしていく、大きなエンジンの一つなのです。
 登場人物同士が影響を与え合って、感情を動かすチャンスがあったら、できるだけ大きく動かしましょう。
 きっとシーンは、さらに面白くなるはずです。

◯閑話休題
 即興芝居(インプロ)をやっている人たちなら、インプロゲームの中に『エモーショナルチェンジ』と呼ばれるものがあることは知っているでしょう。
 最初に、基本のシーンを演じて、それをさまざまな感情バージョンで演じて、その変化を楽しむというものです。(見たことない人には、なんのことだがわかりずらいだろうと思いますけど、それはごめんなさい)

 このゲームを発明した人は、おそらくさまざまな演劇のシーンの中で、感情がストーリーを大きく動かしていくエンジンだということを知っていたのでしょう。
 そのことをインプロをやる俳優たちに、わかりやすく教えるために、このゲームを考案したのだと思います。

 感情を使えば、ストーリーは動くということを俳優が知っていれば、即興の演技をやっているときに、感情を動かすチャンスがあれば、それを逃すことなく、大きく動かしてみようという気持ちになるはずでしょうから。

 俳優は、芝居の中で感情の表現をすることが仕事です。
 作家は、ストーリーの中で、感情を動かすシーンを書くのが仕事です。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:24 | Comments(0) |  | 映画 | テレビ | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月09日

あなたのシーンに、翼を!

ストーリー脚本教室(実践編24)

 今回は、なんとなくシーンが面白くなかったときに、効果的な方法を書いてみたいと思います。
 疲れたときに、ビタミンを飲んだり、赤い牛的な強壮剤を投入したりするのと近いです。
 シーンを元気よくするための方法です。
 あなたのシーンに、翼を!

◯書き直しは当然!

 あなたがシーンを書いたとします。
 例えば、主人公が運命の恋人に出会うシーンです。
 最初はなんとも思っていなかった女の子を、その瞬間から意識しはじめるところです。
 あなたは思いついたアイディアが気に入って、一気に書き上げました。
 しかし、あなたはこのシーンを書いたあとに、読み返して、なんとなく今ひとつだなと感じます。
 もう一度、読み返しても、このシーンが面白いとは思えません。

 そんなときは、さっさと書き直しはじめましょう。
 または、書いたものを、一気にデリートキーで消して、新たなシーンを書き始めたほうがいいです。
 ダメなものに囚われているのは、時間の無駄。

◯いいシーンとはなにか?

 それを一言でいうのは、とても難しいです。
 面白さというのは、実に感覚的なものですから。
 ですから自分の感覚にはしたがうべきです。

 なんとなく感じること、ふとわきあがる直感、衝動、そういうものにはかなりの確率で真実がふくまれています。
 あなたが『違和感』を感じたときは、危険信号。
 たとえその違和感の正体がわからなかったとしてもです。

 違和感を感じたときには、きっと何かが足りないか、逆に書きすぎているか、またはセリフがキャラクターにそぐわないか、芝居自体が段取りだったりしている可能性があります。

◯違和感にしたがいましょう。

 「ん? なんだろう?」という感覚が違和感です。
 あたまが理解する前に、無意識は感じ取ってくれます。
 そうしたら、それに従ってみてください。
 それを無視して、前に進まないほうがいいです。
 ペンをとって、そこにチェックマークを入れましょう。
 そしてその違和感の理由を、あらためて考えるのです。
 先ほど書いた違和感の理由が、きっとそこにあるでしょう。

 違和感の理由は、さっさと取り除きたいものです。

◯段取り芝居はカットするべし。

 いらないシーンの代表は、『段取り芝居』です。
 例えば、男が、女に愛の告白のシーンを書いたとします。

   店の前に男と女が立っている。
男「やぁ、ひさしぶり」
女「おひさしぶりです」
男「半年ぶりかな」
女「そうね、今日は、なんなの? 急に電話してきて」
男「ごめん、わざわざ出てきてもらって」
女「じゃあ、お店にはいりましょう」
   と、男と女は店に入っていく。

 というシーンがあって、次のシーンで男が女に愛の告白するシーンが続きます。
 いま、ここに書いたのが、まさにダンドリです。
 愛の告白をするまえに、二人が再会して、店に入るまでの流れを書いています。そこで、二人が半年ぶりに会ったという説明があるにしても、それはどこかで入れることは可能だろうし、だいたいこのダンドリシーンは、ほとんど意味がないし、時間の無駄です。
 この部分は、全部カットしても、ストーリーの流れにはほとんど影響を与えません。
 さっさとカットしてしまいましょう。

◯質問セリフを書いたら、要注意。

 僕がセリフをチェックするときに、気をつけていることがあります。
 それは無駄な質問セリフです。

 たとえば、こんな感じ。

   男と女が喫茶店の席に座っている。
男「どうかした?」
女「えっ?」
男「さっきから、外ばかり気にしてるけど」
女「知り合いに、見られたらいやだなと思って」
男「いいじゃん、見られても」
女「あなたはよくても、あたしは困るの」

 というようなやりとりです。
 書いているときは、気づいていなくても、読み返したときに、この『?』マークに気づきます。
 おっ、質問してるぞ。
 この質問は、はたしているのかな?
 そう自分に問いかけます。

 質問なしでも、このやりとりは成立します。

男「さっきから、外ばかり気にしてるけど、そんなに人にみられたくないわけ」
女「……だって、困るし……」

 たった二行になりました。
 すっきりしたでしょ。

 セリフの中に不用意な質問があったときは、注意してください。
 次に言いたいことを、呼び込むために、質問をしている場合がほとんどです。
 それがなくても会話が成立するのなら、不用意な質問セリフはないほうがすっきりします。

 僕が書いていることは、絶対正解ではありません。
 あなた自身がいいと思っていることは、断固として通してください。
 あくまでも僕がここで書いているのは、先輩からの一つのアドバイスですから。
 質問のセリフだって、それがあるほうが、セリフとして弾んでいたり、いい流れの場合もあります。
 それは、あなたの判断が大事です。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 07:47 | Comments(1) |  | 映画 | テレビ | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月08日

自分のことを『種』にしてみよう

ストーリー脚本教室(実践編23)

 前回は、ストーリーの冒頭の大事さと、それをチェックする方法を書きました。

 ここでちょっと脇道。
 なかなかアイディアが浮かばない人のために、誰もができるアイディアの出し方を一つ紹介します。

◯自分に起きたことをストーリー化する。

 誰にでも、自分に起きたり、自分の周りで起きた、忘れられないドラマチックな出来事というものがあるはずです。
 友達に、自慢したいエピソード、ひどい目にあったこと、または、誰にも言えないようなこと。

 ストーリーとして面白くなりそうなものは、どちからというと『誰にもいえないようなこと事』の方に決まっています。
 あなたに誰にも言えないような秘密の出来事がもしあれば、それは間違いなく面白いストーリーになると思います。

 それはもしかしたら恥ずかしいことだったり、哀しいできごとだったりするかもしれません。
 自分の中の奥深くに閉じ込めた傷ついた記憶かもしれません。
 しかしそれと向かい合うことができたら、きっとそれは意義あることになるはずです。

◯本当のことを書く必要はありません。

 自分の体験だったり、自分の周辺で起きたことだったりしても、それをそのまま本当に起きた通りに書く必要はありません。
 われわれが作ろうとしているのは、フィクション、ストーリーなわけですから。

 自分に起きたことや、本当のことを、ストーリーの『種』にするのです。
 その種を、畑に植えて、水をやって育てていきます。

 文学にも私小説というもがあります。
 あなたも自分のストーリーを語ってください。
 きっと面白いものになっていくと思います。

◯面白くするには、ピンチをさらに大きくする。

 たとえば、あなたは高校生の時に陰湿ないじめにあい、学校を中退することになった経験があるとします。
 忘れようとしても、忘れられないが、誰にも言っていないことです。
 しかしあなたは、この体験をストーリーにしようと決めました。

 このことは自分と向き合うことを、あなたに強いてきます。
 トラウマになりそうだったことにも、正面から向かい合わなければならなくなります。
 でもおそらく今のあなたは、それを乗り越えていて、それを書こうと決めました。(仮に乗り越えていなくても、書こうと決めた時点で、乗り越えようとし始めたわけです)

 この過程こそ、ストーリーに大切なことです。
 主人公が変化(成長)していくこと。

 振り幅は大きい方がいいです。
 面白さもエネルギーも上がります。
 そのためは、どうするか?

 ひどい目にあった自分を、もっとひどい目にあわせてみましょう。
 ストーリーの中だったら、それができます。
 もう現実では、それ以上ひどいことは起きるわけがないのですから。(だから大丈夫)

 たとえば、
 悪質ないじめにあい、学校を退学してしまった、さらに自分をいじめてやつが、執拗にかかわってくる。
 追いつめられた自分は、ずっと逃げつづけてきたが、ついに反撃に出る。
 そして、その悪魔のような奴を殺してしまい、殺人犯として、追われるはめになってしまう。
 どうなるんだ、主人公!?
 と言う具合にです。
 もっともっと、ギリギリの所まで主人公(自分)を追いつめていきます。
 それをどうやって乗り越えるのかというのが、物語のクライマックスになっていくはずです。
 どうですか? 面白くなりそうでしょ。

◯自分に起きたひどいことをストーリー化しようという気持ちは、僕らを救ってくれるかもしれません。

 現実の生活の中で、あなたがもしひどい目にあったとします。
 そのときに心のどこかに、「あっ、このこといつかストーリーでつかえるかもしれない」という声が聞こえるのです。
 するとそのひどいできごとの中でも、どこかで自分を保つことができます。
 精神的に、あなたが追いつめられすぎることはなくなるはずです。

 ひどいことに巻き込まれても、死なないようにしましょう。
 死んだら、それをストーリーにするこは本当にできなくなってしまいますから。
 死なずに生き延びて、面白くて、人を幸せにすることのできるものを作る。
 それこそが我々、ストーリーをつくると決めた人間の仕事です。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 08:17 | Comments(0) |  | 映画 | テレビ | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月07日

キモイバカは使うべし

ストーリー脚本教室(実践編22)

 ワクワクドキドキで、お客さんをつかんではなさないために、チェックしてほしいことというのを前回書きました。
 今回は、僕のチェック方法をもう一つ紹介します。

◯『キモイバカ』を見つけろ!

 なんのこっちゃ?
 そりゃ、いろんなところにキモイバカはいるよ。
 友達にもいるし、もしかした自分もそうかもしれない。
 などと思った人もいるかもしれません。(笑い)

 早まらないでください。
 これはストーリーの始めで、書き手がしっかりとつかんでおいてほしいことを、忘れないようにするためにつけたものです。

 キモイバカとはなにか?

 『キ』はキャラクターのキです。しっかりキャラクターは出来ているのか。

 『モ』は目的のモです。主人公の目的ははっきりしていますか。彼は何に向かっていますか?

 『イバ』は居場所のイバです。彼の場所、彼を取り囲んでいる場所はどこですか。それは出来ていますか?

 『カ』は関係性のカです。主人公と、他の登場実物たちとは、どういう関係性ですか? その関係性は表現できているのか?

 それらのことを描いていくことが、とても大事なのです。
 どれが欠けてもいけません。

 キモイバカを、ちゃんと描いていくことが、ワクワクドキドキでお客さんを放さないための第一歩なのです。

◯『キモイバカ、ヘン』

 キモイバカができたら、次は『ヘン』です。

 キモイバカは、たしかに変です。
 しかしここでのヘンは、変化のヘンです。

 シーンの中で、さまざまなことが変化していかなければなりません。
 それがないと面白くなりません。

 キャラクターを変化させること。
 目的を、達成するために、変わっていくこと。
 相手との関係性が、変化していくこ。

 この変化の『ヘン』は、とても大事なヘンなんです。

 どんなふうに感情が変わるのか?
 立場がかわるのか?
 世界がかわるのか?
 主人公は、成長して、変化するのか?

 これらのことがないと観客は満足してくれません。
 変化がないと感じたら、そこはもう一度書き直すべきところなのかもしれませんよ。
 気をつけてください。

◯『キモイバカ、ヘン』はインプロする俳優もおぼえておくといいです。

 インプロ(即興劇)でもストーリーを作っていくという目的は同じなので、作家がキモイバカヘンを大事にするのと同じようにキモイバカヘンをわかっていれば、シーンは自然と面白くなっていくのです。
 ただわかっていても、それを意識せずに表現するのはとても難しいです。
 意識しないでも、それが自然とだせるようになるまでになっているのがベストです。
 そうなれるようにするには、毎日のトレーニングが必要です。
 練習あるのみ!
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:16 | Comments(0) |  | 映画 | テレビ | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月06日

セットアップはワクワクドキドキの中でする

ストーリー脚本教室(実践編21で心構え編9)

 前回はストーリーが始まってからの『つかみ』について書きました。

◯『つかみ』は、演出に負う部分が大きい。

 ストーリーがはじまってからの五秒とか、五分、十分以内にチェックすべきことなどを書きましたが、実は「つかみ」に関すところは、演出の領域に負うことが大きいです。
 演出というのは、映像作品ならば、監督がやる仕事(実際の影像)のこと。
 小説ならば、作家が書き下ろす、文章のスタイルのことになります。

 具体的に観客の目の前に現れるものが、吸引力を持っていればいいのです。

 すぐれた俳優やダンサーは、ただステージに何もせずに立つだけで、俳優の目を釘付けにすることができます。
 そういう人は、自分で『つかむ』力を持っています。

 しかしわれわれストーリーの書き手は、そういう人たちをさらにやりやすくするために、ストーリーという道具でサポートしてあげなければなりません。

◯ストーリーは道具である。

 僕はストーリーというのは『道具』だと思っています。
 大工さんは、家たてるのに、金槌や釘や鉋や鋸を使って、材木を加工していきます。
 料理人は、包丁や鍋やフライパンなどを使って、料理をつくっていきます。
 われわれは、ストーリーをつかって、感動やエンタメをつくっていくわけです。

 ストーリーは完成品ではありません。
 観客の内側に、化学反応を起こして、目に見えない変化をそこで起こすことができたとき、はじめて完成されるのだと思います。
 だからこそストーリーは道具だと考えるわけです。

 大工さんや料理人たちのように、できればいい道具を使いたいものです。

 道具をうまくつかいこなせるのは、職人です。
 僕はいい職人でありたいと思っています。
 職人というのは、技術を日々磨くものです。
 そこには終わりはありません。
 どこまでも高い技術を求めて、日々を過ごしていきたいのです。
 きちんと人がすめる家を建てる大工さんや、毎日食べて飽きない食事をつくる料理人のように。

 ここで書いているのは、その道具をどうやって磨き、うまく使っていくかについてです。

◯つかんだら、『ワクワクドキドキ』『つぎどうなるの?』で前に進む。

 観客(読者)をつかむためには、最初の五分、十分が大事ということは、もうみなさん充分にわかってもらえたと思います。
 その間にやらなければならないこと、チェックしなければならないことも、前回に書いた通りです。

 あとここには、主人公以外の主な登場人物たちもできるだけ出しておいたほうがいいです。
 主人公とかかわることになる主な登場人物が、あとのほうで出てくると唐突感が出てしまいます。
 なんらかの形で、見る人に紹介しておくことは、大事です。

 そういうふうに出さなければならない情報はたくさんあります。
 それをただ出していくだけでなく、『次どうなるの』という気持ち(ワクワクドキドキ)を観客に抱かせるような展開の中で、それらの情報をうまく知らせていくのです。
 観客が気づいたら、知っていたというような情報の伝え方がおしゃれです。
 そういうおしゃれなやりかたで、ストーリーを前に進めていきたいものです。

◯『セットアップ』という呼び方もあります。
 『設定』『世界観』などと言う人もいると思います。
 主人公とそれを取り巻く世界のことです。
 ストーリーがはじまったときに、これが観客にちゃんと伝わっていないと、せっかくつかんだ観客を、あっというまに放してしまうことになってしまいます。

 ワクワクドキドキさせなが、ちゃんとセットアップを完了していくこと。
 それが出来ているのかどうか、チェックしてくださいね。

 2016年4月4日から、僕がシリーズ構成と脚本を担当している少年向けアニメ『ベイブレードバースト』がテレビ東京系列ではじまります。
 この番組で、いかにセットアップがなされているのかをチェックしてみてください。
 オンエアが済んだら、これを例にとって、セットアップについて書くかもしれません。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 11:25 | Comments(0) |  | 映画 | テレビ | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月05日

つかんで、はなさいように

ストーリー脚本教室(実践編20)

 ファーストシーンを書いたなら、次は何をする?

◯まずは『つかみ』

 お笑いやっている芸人さんたちは、良く知っています。
 『つかみ』が大事だということを。
 短い自分たちのショー(だいたいお笑いのステージって三分くらいですよね)で、いかにお客さんを笑わせるかに命を賭けている芸人さんたちは、最初の一発目になにをやってスタートするかということの大事さを知っています。
 つかみとは、お客さんを、自分たちの方に集中させて、離さないということ。
 彼らはオープニングの一瞬、五秒にかけてます。

 ただし、僕らが今から書こうとしているのは、お笑いでもないし、演芸でもありません。ストーリーです。

◯ストーリーを見に来る観客(読者・視聴者)は、けっこう我慢強い。

 お笑いを見に来るお客さんは、短距離走者です。笑えないとなると、とたんに興味を失い。厳しい批評家に変身して、そっぽをむいてしまいます。
 次の人、次のネタがすぐに来ることを知っているから。

 しかしストーリーを見に来るお客さん(読者・視聴者)は、けっこう寛容で、優しくて、我慢強い人たちが多いです。
「さぁ、おもしろい話を見せてね〜。あたしも、やれることはやってあげるから」
 って感じで、きわめて協力的で前のめりな姿勢で、われわれクリエイターが始めるパフォーマンス(作品)につきあおうとしてくれます。
 わざわざ時間をつくって、劇場に足を運んだり、チャンネルを合わせたり、本を買ってページをめくってくれたりしているわけで、作り手側にとっては、本当にもうありがたい、いいお客さんたちなのです。

 それでも彼らの協力に甘えすぎてはいけません。

◯十分、できれば五分以内につかむこと。

 我慢強い協力的なお客さんでも、十分以内、できれば五分以内に彼らを『つかむ』こと。ぜひそうして欲しいです。
 そうしないと、いくら彼らでもしだいに心が離れていき、もじもじ始めたり、チャンネルを変えたり、本を閉じて掃除をはじめてしまうということになってしまいます。

 十分、というのは実に短い時間です。
 トイレで用を足すのにも、十分くらいはかかる人もいるでしょう。
 しかし劇場での十分は、けっこう長いのです。テレビの前の十分、ページを10ページ読むだけの時間は、集中力を必要とする時間です。
 かなりのエネルギーを使う時間は、ぼんやりしている時間の十倍くらい疲れるのです。

 この時間帯にお客さんをつかむことができなかったら、お客さんは疲れ始め、遠ざかりはじめてしまいます。
 あっという間に、取り返しのつかない状況に、われわれを追いこんでいくことでしょう。

 ファーストシーンの次にはじまるシークエンスで、あなたの書いているものは、お客さんを『つかむ力』を持っているのか、チェックしましょう。

◯主人公は誰なのか?
◯主人公は、観客に味方になってもらえてるか?
◯状況は、伝わっているのか?
◯惹きつける要素はあるのか?

 最低でもそれらのことを満たしているようにしてください。
 それらがないと、次の五分で、あなたは地獄を見ることになります。
 ここは細心の注意を払って前に進むところです。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 11:46 | Comments(0) |  | 映画 | テレビ | 演劇 | 映画と小説 | 脚本