2016年03月21日
書きたいものが無かったらどうする
ストーリー脚本教室(実践編28)
◯作家(あなた)に書きたいものはありますか?
ほとんどの作家には、書きたいものがあるはず。
そう多くの人は思っていることだと思います。
果たして、それがない作家というものはいるのでしょうか?
実は、僕には、それがありませんでした。
「書く」ことは好きで、やめられないくらい中毒なんですけど、「書きたいこと」というのは、とりたてて無かったのです。
なんとなく「好きなこと」を「書きたいこと」だと思っていました。
飲みの席で、先輩の脚本家さんに「おまえの書きたいものはなんなんだ?」と聞かれたことがあります。
そのとき、答えに困ってしまったことを、はっきりとおぼえています。
それからというもの呪いのように、この先輩の言葉が僕の頭のどこかにひっかかっていて、いつも僕に問いかけてきます。
「おれの書きたいことってなんなんだろう?」
もう何十年も脚本家として仕事をし続けているのに、これが見つかっていないというのは、どういうことなんでしょうかね。
ただ物語を書き始めると、「その物語で書きたいこと」というのを、見つけてしまうのです。
書き始める前には、思いも寄らなかった「書きたいこと」が、ふわーっと浮かび上がってくるんです。
それがあるから書くことをやめられないのかもしれません。
僕は物語を書き始める前は、何にもない、からっぽの状態です。
何もない状態のところに、物語の種が植えられると、その種をちゃんと育てて、実をむすばせるために全力を注ぎはじめます。
まさに農夫が、畑に種をまいて育てはじめるように。
僕のやりかたというか、タイプは、一つの例だと思ってください。
他にもいろんなタイプの作家がいると思います。
ただもし僕みたいに、書くのは好きだけど、「何が書きたいのかわからない」という人もいるかと思うので、僕の体験を隠さずに書いてみました。
ただし、「自分らしさ」というのは、どんな物語を書いたとしても、そこににじんでいくものだと思います。
同じものを書いても、書く人が違えば、違うテイストになるのだと思います。
だからこそ世の中に、同じようなタイプの物語がたくさんあっても、別のものだとして楽しめるのでしょう。
「どんなものを書いても、自分らしさは出てしまう」
そう思ってください。
僕は、そういうものだと思います。
◯誰かのために書く。
自分のためではなく、誰か他の人のために物語を書く。
そういうこともあると思います。
というか、実はこっちのほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。
自分の満足のためだけではなく、観客(読者)を満足させるための物語。
多くの作家は、そのために書いているのではないかと思います。
もちろん観客(読者)の姿がはっきりと見えている場合と、見えていない場合があるでしょう。
でも自分の書いている物語が、だれにむかっているのかというのは、作家は感じているのではないでしょうか。
前にも、これに似た記事を書きましたが、今日はこれを書きながら、自分の考えがよりはっきりしてきました。
◯書きたいけれど、書きたいことがない。
もしあなたが、そういう状態だとしたら、打開策はあります。
「誰かのために書く」
そう決めるのです。
その相手は、あなたが喜ばせたい相手であればいいでしょう。
その相手を、目に浮かべて、どんな物語をプレゼントすれば喜ぶかを考えるのです。
モチベーションも上がり、物語のヒントがおそらくふってくることでしょう。
◯相手を喜ばせるために。
これがキーワードです。
書きたいこと、物語を自分に引き寄せるため、ぜひこれを使ってみてください。
◯作家(あなた)に書きたいものはありますか?
ほとんどの作家には、書きたいものがあるはず。
そう多くの人は思っていることだと思います。
果たして、それがない作家というものはいるのでしょうか?
実は、僕には、それがありませんでした。
「書く」ことは好きで、やめられないくらい中毒なんですけど、「書きたいこと」というのは、とりたてて無かったのです。
なんとなく「好きなこと」を「書きたいこと」だと思っていました。
飲みの席で、先輩の脚本家さんに「おまえの書きたいものはなんなんだ?」と聞かれたことがあります。
そのとき、答えに困ってしまったことを、はっきりとおぼえています。
それからというもの呪いのように、この先輩の言葉が僕の頭のどこかにひっかかっていて、いつも僕に問いかけてきます。
「おれの書きたいことってなんなんだろう?」
もう何十年も脚本家として仕事をし続けているのに、これが見つかっていないというのは、どういうことなんでしょうかね。
ただ物語を書き始めると、「その物語で書きたいこと」というのを、見つけてしまうのです。
書き始める前には、思いも寄らなかった「書きたいこと」が、ふわーっと浮かび上がってくるんです。
それがあるから書くことをやめられないのかもしれません。
僕は物語を書き始める前は、何にもない、からっぽの状態です。
何もない状態のところに、物語の種が植えられると、その種をちゃんと育てて、実をむすばせるために全力を注ぎはじめます。
まさに農夫が、畑に種をまいて育てはじめるように。
僕のやりかたというか、タイプは、一つの例だと思ってください。
他にもいろんなタイプの作家がいると思います。
ただもし僕みたいに、書くのは好きだけど、「何が書きたいのかわからない」という人もいるかと思うので、僕の体験を隠さずに書いてみました。
ただし、「自分らしさ」というのは、どんな物語を書いたとしても、そこににじんでいくものだと思います。
同じものを書いても、書く人が違えば、違うテイストになるのだと思います。
だからこそ世の中に、同じようなタイプの物語がたくさんあっても、別のものだとして楽しめるのでしょう。
「どんなものを書いても、自分らしさは出てしまう」
そう思ってください。
僕は、そういうものだと思います。
◯誰かのために書く。
自分のためではなく、誰か他の人のために物語を書く。
そういうこともあると思います。
というか、実はこっちのほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。
自分の満足のためだけではなく、観客(読者)を満足させるための物語。
多くの作家は、そのために書いているのではないかと思います。
もちろん観客(読者)の姿がはっきりと見えている場合と、見えていない場合があるでしょう。
でも自分の書いている物語が、だれにむかっているのかというのは、作家は感じているのではないでしょうか。
前にも、これに似た記事を書きましたが、今日はこれを書きながら、自分の考えがよりはっきりしてきました。
◯書きたいけれど、書きたいことがない。
もしあなたが、そういう状態だとしたら、打開策はあります。
「誰かのために書く」
そう決めるのです。
その相手は、あなたが喜ばせたい相手であればいいでしょう。
その相手を、目に浮かべて、どんな物語をプレゼントすれば喜ぶかを考えるのです。
モチベーションも上がり、物語のヒントがおそらくふってくることでしょう。
◯相手を喜ばせるために。
これがキーワードです。
書きたいこと、物語を自分に引き寄せるため、ぜひこれを使ってみてください。
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