2016年03月18日
その瞬間を生きること
ストーリー脚本教室(心構え編15)
僕が作家になるまで、その4。
劇団に入って、出演と演出助手をやりながら、演劇をどうやってつくるのかを学びながら、僕は自分の作品を書き始めました。
僕が書いたものを、いきなり劇団で上演してもらえるわけもないので、自分でやるしかないと思いました。
大学に演劇をやっている人たちがたくさんいました。
時代は学生演劇も盛り上がっていました。
学内にも、いくつも演劇団体があり、他の大学にもさまざまな劇団がありました。
僕もよその大学の演劇団体などとかかわるようになっていました。
俳優やスタッフを集めようと思ったら、わりと簡単に集めることができました。
協力してくれる人たちに頼み込んで、大学の近くの小劇場を借りて、一本目の作品を上演したのです。
タイトルは「ファイヤーボール」のちに、この作品を書き直して「ファンタスト」として再演しました。
二本立て公演で、もう一本は師匠の森さんに脚本をお借りした児童劇でした。
このときは脚本演出出演もしていて、無我夢中でした。
せまい劇場だったので、超満員になり、とうとう舞台上にもお客を入れての上演の回もでる始末です。
しかしなんだかものすごい高揚感の中にいたのをおぼえています。
かくして僕の脚本家としての人生がスタートしたわけです。
なにかを書いて生きて行けたらいい。
そう思っていた小学五年生は、いつのまにか大学生になっていました。
大学時代は、劇団日本と、自分がプロデュースして上演するグループや他の大学の人と作る物に参加したりして、演劇三昧の日々を送りました。
それと同時に映画の脚本を書きたいという夢も抱くようになり、大学生の間に、とにかくたくさんの映画を見ようと決意して、(当時は名画座というものがけっこうたくさんあり、わりと安く映画を見ることができたので)映画を見まくりました。
今ならDVDとかネットがあるので、見たい映画をいくらでも自分の部屋で見ることができますが、当時はビデオはまだまだ高価でした。
名画座巡りが、僕の日常になりました。
年間300本くらい見ていたと思います。
映画館で映画を見ながら、メモをとって、あとで映画の構成を分析するのが、僕の脚本修行のやりかたです。
映画ノートというのを作って、それに映画の感想や、気に入ったセリフなどなんでもメモをしていくのです。
とにかく他の人の作品から、脚本の書き方を盗み取ろうという気持ちでした。
脚本の書き方(指南書)のたぐいも、手当たり次第に読みました。
このときは脚本教室に行くとか師匠について修行するという発想は、まだ僕にはありませんでした。
演劇の練習をしているか、映画館で映画を見てメモをとっているか、毎日そんな感じです。
ミステリー小説を書きたいと思っていたので、大学でそういうサークルはないかと探したら、ミステリーがなくてSF研究会というのがあったので、面白そうだと思って、そこに所属しました。
明治大学のSF研究会というのは、同人誌活動などをやっている先輩たちがいて、なかなか面白い人たちが集まっていました。
SFだけではなく、コミック全般、アニメなどにやたらと詳しい人たちもいて、ちょうどコミケットというのを先輩が立ち上げようとしていました。(僕もその分野に関しては、誰にもまけないというくらい自信があったので、もってこいです)
第一回のコミケの立ち上げに手伝いに行った記憶があります。
コミケが、その後ものすごいことになっていくのは、みなさんご存じですよね。
劇団、大学演劇、SF研究会、映画館。
この四カ所をぼくは、ぐるぐるまわりながら、脚本修行をつづけました。
いつのまにか、書くことが日常になり、自分は書いて生きていくんだという気持ちもはっきりとしたものに育っていたのでした。
舞台の脚本も何本か書き、上演したことで、自分の中に自信のようなものもついてきていました。
根拠は何もないんですけどね。
がむしゃらでした。
このあと、ついに僕はプロとしての一歩を踏み出すことになります。
それはまた次回ね。
◯未来は見えなくとも
自分のやっていることを、自分で認めること。
自分自身を自分が受け入れること。
これはとても大事なことだと思います。
実は、これは案外難しいんですよね。
人は、すぐに批評家になってしまいます。
他の人のことだけじゃなく、自分自身に対しても。
自分を批評してしまうと、欠点ばかりが目についてしまいます。
批評家にならずに、あくまでもクリエイターとして、自分を認めてあげること。
ダメなところ、失敗もふくめて、自分を自分で受け入れることができたらいいんです。
いまなら、そういうこともよくわかります。
未来のことなど、わかるわけありません。
ましてや自分がどうなっていくのかなんて。
道も見えないところを歩いていかなければなりません。
目の前のこと、その瞬間瞬間を大事にして、自分のできることを全力でやること。
それがその瞬間、もっともやりたいことであるなら、きっと後悔はないはずです。
さまざまな困難や、障害があなたの目の前に立ちふさがるかもしれません。
それで引き下がらずに、それらの困難や障害も、自分のストーリーを面白くするためのものだととらえることができたら、しめたものです。
きっと本当に面白くなっていくでしょう。
自分を受け入れて、外に心を開き、さまざまな出来事や人に出会っていくこと。
これがあなたのストーリーを面白くしてくれます。
僕が作家になるまで、その4。
劇団に入って、出演と演出助手をやりながら、演劇をどうやってつくるのかを学びながら、僕は自分の作品を書き始めました。
僕が書いたものを、いきなり劇団で上演してもらえるわけもないので、自分でやるしかないと思いました。
大学に演劇をやっている人たちがたくさんいました。
時代は学生演劇も盛り上がっていました。
学内にも、いくつも演劇団体があり、他の大学にもさまざまな劇団がありました。
僕もよその大学の演劇団体などとかかわるようになっていました。
俳優やスタッフを集めようと思ったら、わりと簡単に集めることができました。
協力してくれる人たちに頼み込んで、大学の近くの小劇場を借りて、一本目の作品を上演したのです。
タイトルは「ファイヤーボール」のちに、この作品を書き直して「ファンタスト」として再演しました。
二本立て公演で、もう一本は師匠の森さんに脚本をお借りした児童劇でした。
このときは脚本演出出演もしていて、無我夢中でした。
せまい劇場だったので、超満員になり、とうとう舞台上にもお客を入れての上演の回もでる始末です。
しかしなんだかものすごい高揚感の中にいたのをおぼえています。
かくして僕の脚本家としての人生がスタートしたわけです。
なにかを書いて生きて行けたらいい。
そう思っていた小学五年生は、いつのまにか大学生になっていました。
大学時代は、劇団日本と、自分がプロデュースして上演するグループや他の大学の人と作る物に参加したりして、演劇三昧の日々を送りました。
それと同時に映画の脚本を書きたいという夢も抱くようになり、大学生の間に、とにかくたくさんの映画を見ようと決意して、(当時は名画座というものがけっこうたくさんあり、わりと安く映画を見ることができたので)映画を見まくりました。
今ならDVDとかネットがあるので、見たい映画をいくらでも自分の部屋で見ることができますが、当時はビデオはまだまだ高価でした。
名画座巡りが、僕の日常になりました。
年間300本くらい見ていたと思います。
映画館で映画を見ながら、メモをとって、あとで映画の構成を分析するのが、僕の脚本修行のやりかたです。
映画ノートというのを作って、それに映画の感想や、気に入ったセリフなどなんでもメモをしていくのです。
とにかく他の人の作品から、脚本の書き方を盗み取ろうという気持ちでした。
脚本の書き方(指南書)のたぐいも、手当たり次第に読みました。
このときは脚本教室に行くとか師匠について修行するという発想は、まだ僕にはありませんでした。
演劇の練習をしているか、映画館で映画を見てメモをとっているか、毎日そんな感じです。
ミステリー小説を書きたいと思っていたので、大学でそういうサークルはないかと探したら、ミステリーがなくてSF研究会というのがあったので、面白そうだと思って、そこに所属しました。
明治大学のSF研究会というのは、同人誌活動などをやっている先輩たちがいて、なかなか面白い人たちが集まっていました。
SFだけではなく、コミック全般、アニメなどにやたらと詳しい人たちもいて、ちょうどコミケットというのを先輩が立ち上げようとしていました。(僕もその分野に関しては、誰にもまけないというくらい自信があったので、もってこいです)
第一回のコミケの立ち上げに手伝いに行った記憶があります。
コミケが、その後ものすごいことになっていくのは、みなさんご存じですよね。
劇団、大学演劇、SF研究会、映画館。
この四カ所をぼくは、ぐるぐるまわりながら、脚本修行をつづけました。
いつのまにか、書くことが日常になり、自分は書いて生きていくんだという気持ちもはっきりとしたものに育っていたのでした。
舞台の脚本も何本か書き、上演したことで、自分の中に自信のようなものもついてきていました。
根拠は何もないんですけどね。
がむしゃらでした。
このあと、ついに僕はプロとしての一歩を踏み出すことになります。
それはまた次回ね。
◯未来は見えなくとも
自分のやっていることを、自分で認めること。
自分自身を自分が受け入れること。
これはとても大事なことだと思います。
実は、これは案外難しいんですよね。
人は、すぐに批評家になってしまいます。
他の人のことだけじゃなく、自分自身に対しても。
自分を批評してしまうと、欠点ばかりが目についてしまいます。
批評家にならずに、あくまでもクリエイターとして、自分を認めてあげること。
ダメなところ、失敗もふくめて、自分を自分で受け入れることができたらいいんです。
いまなら、そういうこともよくわかります。
未来のことなど、わかるわけありません。
ましてや自分がどうなっていくのかなんて。
道も見えないところを歩いていかなければなりません。
目の前のこと、その瞬間瞬間を大事にして、自分のできることを全力でやること。
それがその瞬間、もっともやりたいことであるなら、きっと後悔はないはずです。
さまざまな困難や、障害があなたの目の前に立ちふさがるかもしれません。
それで引き下がらずに、それらの困難や障害も、自分のストーリーを面白くするためのものだととらえることができたら、しめたものです。
きっと本当に面白くなっていくでしょう。
自分を受け入れて、外に心を開き、さまざまな出来事や人に出会っていくこと。
これがあなたのストーリーを面白くしてくれます。
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