2016年04月02日

昔のアフレコ現場のこと

ストーリー脚本教室(心構え編20)

 アフレコの話しの続き。
 前回は、脚本家がアフレコに立ち会うことの意味について書きました。
 今回は、僕が最初にアフレコ現場に行って驚いた話しです。

◯最初のアフレコ現場

 前回書きましたが、僕が最初にかかわった作品は1981年から製作に入っていた「テクノボイジャー」でした。
 ほぼ同時期に「ドン・ドラキョラ」にもかかわっていたので、おそらくどちらかのアフレコスタジオに行ったのが最初だったはずです。

 このころのアフレコというのは、フィルムで行われていました。
 いまはほとんどがハードディスクに入れてあるデータから映像をモニターにだして、それにあわせて収録は行われています。
 すべてがデジタル処理なので、シーンの頭出しや、編集も自由自在です。
 しかし81年当時は、フィルムを上映しながら、それにあわせてテープに録音するというアナログでの作業でした。

 ぼくは、その状況にまず驚きました。
 16ミリのフィルムには、アニメの映像が完全に出来上がっているわけではありませんでした。
 色がついている絵があればいいほうで、ほとんどがまだ彩色されていない原画が、そのまま撮影されていたり、ひどいところだと、なにもないフィルムに、ただ赤線とか青線とかが引いてあるところさえあります。
 これにあわせて声を録音していくのです。

 声優さんたちの技術には、さらに驚かされました。
 リハーサルで、一度フィルムを上映しながら、自分が声をいれるところを確認していきます。
 そしてテスト。
 そこではじめて台本をみながら、声をあてていきます。
 もうこの一回目のテストで、だいたいの芝居は出来上がっています。
 音響ディレクターからの、修正の指示が出たあと、ラステス(ラストテスト)があります。
 そして本番です。
 本番はほほ一発勝負な感じ。
 失敗すると、テープを巻き戻して、そこから再スタートになります。
 他の俳優さんたちに迷惑をかけるといけないので、声優さんたちは真剣そのもの。
 当時の録音テープのトラック数はあまり多くなかったと思います。
 多重録音するにも、トラックに限りがあるので、なんども取り直すということはあまりしていませんでした。
 こまかいテープの編集作業などを同時にしながら、アフレコの作業は進んでいきます。
 一本の短いアニメの声をあてるにも、かなりの時間をかけて作業をしている俳優やスタッフたちの姿に、僕は感動さえおぼえたのでした。

 今のアフレコスタジオは、そのころとはかなり様相がちがいます。
 デジタル化が進んだのが大きいですね。
 映像もデジタルデータで再生されるし、それにつける音声もすべてコンピューター処理されています。
 音声の切り取りや、データの移行なども簡単にできるので、修正作業などは昔に比べたら格段に容易になっています。

 声優さんたちにかかる負担も、その分軽くなっているのではないでしょうか。
 まずリハーサル、テストの数が少なくなってます。
 俳優さんたちには、あらかじめ映像データと台本が渡されているので、事前にチェックをしてスタジオに臨むことができるようになりました。
 このことは俳優さんたちに、事前チェックをする時間をとらせるという手間はありますが、俳優さんたちにとっては、いきなりぶっつけ本番にならずに済むという利点があるでしょう。

 今は、だいたいリハーサル、本番の二回で収録は行われています。
 そのたった二回で、正解を出さなければならない声優さんたちは、大変だろうと思いますけど。

◯往年の名声優さんたちとの出会い

 僕は幸いなことに、脚本家としてアニメにかかわることができたのが早く、アフレコの現場などに行くことができたので、もう亡くなってしまった往年の声優さんたちともたくさん関わらせていただきました。
 それらの仕事ぶりを間近で目撃することができたのは、とてもラッキーだったと思っています。
 テレビの中から聞こえてくる声を、間近で見ることができた思い出はかけがえのないものです。

 多くの現場で、さまざまな俳優さんたちと出会い、いくつもの思い出をつくらせていただきました。
 もう亡くなってしまった方もいらっしゃいます。
 僕だって、いつどうなるか、神のみぞ知るです。

 一瞬、一瞬、大事にしながら、今を生きていきたいものです。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 10:30 | Comments(0) | テレビ | 脚本

2016年04月01日

アニメのアフレコについてのこと1

ストーリー脚本教室(心構え編19)

 前回は、プロの脚本家さんたちの仕事を間近で見せてもらったのが、すごく勉強になったという話しを書きました。
 僕の修行はまだまだ続きます。

◯脚本家の仕事はアフレコまで続く

 脚本家の仕事は、脚本を書いたら終わりではありません。
 これも仕事をはじめたころに気づかされたことです。

 今回はアニメの場合についてです。
 実写の場合は、また少し変わります。
 アニメの制作の過程では、脚本から、コンテになり、それから原画、動画になり、それらがつながり一本のアニメになったところに、アフレコで声優さんの声が入り、そしてさらに効果音やBGMなどが加わって、完成品になります。
 すごく長い工程です。

 自分が書いたセリフが、最終的にどうなるのかは、アフレコの現場で決まります。
 演出家がコンテを書いているときに、違和感を感じて、セリフに変更を加える場合にあるかもしれません。
 またアフレコのリハーサルの段階で、実際に声優が言葉を発したものを聞いてから、違和感が出るかもしません。
 そのときは、セリフに変更を加える必要が出てきます。

 今の現場作業では、多くの場合、演出家または音響監督が、その修正を行うのが多くなっています。
 しかし本来ならば脚本家が書いたセリフなのですから、脚本家が責任を負うべきだと僕は思います。

 脚本家がアフレコに立ち会っていれば、それができるわけです。

 脚本家はできるだけアフレコに立ち会ったほうがいい。
 僕は先輩の脚本家にそう教えられました。
 実際、アフレコの現場に来る脚本家の人は少なかったですけどね。

 実際にアフレコの現場で気づくこともけっこうあります。
 脚本を書いた段階では気づいていなかった間違いに気づいたり、あらたな発見があって、セリフを直したくなったりすることも。
 それを修正できる、最後のチャンスが、アフレコスタジオです。

 自分のかかわっている番組(作品)をより良くしたいと思うのなら、これは当然のことでしょう。

 僕は、アフレコの現場でセリフのチェックをするのは当然のことだと思っていましたが、時代の流れとともに、だんだん脚本家は脚本を書けば、そこで仕事は終わりという感じになってきました。
 アフレコスタジオに脚本家がいなくても、実際は現場作業は進められるからです。
 僕も、いつしかスタジオに行かなくなってきていました。
 (少し反省しています)

 アフレコに立ち会うと、いいことがたくさんあります。

◯書いているときに、声が聞こえるようになる。

 アフレコに立ち会っていないと、実際のオンエアで作品が放送されるまで、音声として作品を聞くことはありません。
 オンエアの時点までに、多くの場合、脚本は相当先の話数まで進んでいなければならないので、脚本家はキャラクターの声のイメージは、想像だけで書くことになります。
 しかしアフレコに立ち会えば、少なくともオンエアの何週間か前に声を聞けるのです。

 実際にキャラの声を聞いていると、脚本を書いているときに、その声が脳内で聞こえるようになります。
 これはセリフを書くときに、とても役だってくれるのです。
 セリフがイメージしやすくなります。
 違和感のあるセリフを書いたとき、それに気づきやすくなります。
 いいことずくめです。

 舞台の脚本では、キャストが決まっていて、その人たちの特徴にあわせて脚本を書くことを「あてがき」と言います。
 脚本家にとって「あきがき」は、とても書きやすいし、俳優にとってもやりやすい台本になることが多いです。
 アニメの場合でも、俳優の声が頭に入っていれば、あてがきに近いことができるようになるわけです。

 もし自分の脚本のアフレコがあるときは、できるだけスタジオに足を運ぶことをお勧めします。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 08:24 | Comments(0) | テレビ | 演劇 | 脚本

2016年03月31日

縁とは不思議なものです

ストーリー脚本教室(心構え編18)

 僕が作家になるまで、つづき(その7)

 前回と前々回は、僕が最初の一本書いたときのことを書きました。
 このあと僕はちゃんと放送される作品を書くことになるのですが、どういうわけかこのあたりの記憶があんまり残ってません。
 ぼけたわけではないとは思いますがね。
 それだけ毎日、夢中でやっていたので、おぼえる暇もなかったのかもしれませんね。(笑い)

 これを書いていて、実は自分の記憶がどれだけあやふやになっているのかを再認識したのですが、幻のデヴュー作だと思っていたドン・ドラキュラの前にかかわったアニメがあったのでした。

 心構え編16で、心の師匠の森さんから、脚本家の小山さんを紹介してもらって、ドン・ドラキョラの仕事につながったと書いていましたけど、その前にやったことを書き忘れていました。
 というか、記憶が前後してしまっていたのです。(人の記憶とは、かなりあやふやですねー。すみません)

 最初に小山さんに紹介してもらったのは、じんプロというところでの仕事でした。
 銀座にオフィスがあったのですが、社長と会計と制作と事務の人、たった四、五人しかいない会社でした。
 そこはアニメの制作会社だったのです。
 こんな小さな会社がアニメを作っているのかと、不思議な気持ちがしましたが、何も知らない僕は、そういうこともあるのだろうと思ったのでした。
 ほんと今思うと申し訳ないのですが、アルバイトみたいな気分で、そこに行ったのです。

 社長には、脚本の書ける若いやつという感じで、僕は紹介されたのだと思います。
 僕はたぶん23歳でした。
 (こうやって書いていると、だんだん思い出してきました)
 ウィキペデア見たら、ちゃんと載ってました。
 作品は「テクノボイジャー」といいます。
 1982年のオンエア作品でした。
 ということは、僕は81年くらいから作品にかかわっていたことになりますね。

 僕の仕事は、作品の文芸担当でした。
 脚本を集める仕事です。
 脚本を書きたい僕にとっては、渡りに舟です。
 自分にも脚本書くチャンスがくるのではないかと期待していたと思います。
 たしか脚本も書きました。何本か。それは作品にはなりませんでしたけど。
 しかしこの仕事は、いろんな脚本家のみなさんたちと直接打ち合わせをすることができて、とても勉強になりました。
 プロの脚本家の仕事ぶりを、間近で見ることができたのもいい経験でした。
 このときに、プロがどうやって脚本をつくりあげていくのかを、体験として見ることができたのは、本当によかったです。

 その人たちの脚本を読みながら、勉強させてもらうと同時に、ほんと今では失礼なやつだと思いますが、自分もこれくらいなら書けるなんてことを思っていたような気がします。
 若気の至りです。

 この作品の実質的な制作はグリーンボックスというところがやっていたのですが、のちにAICとなったと記憶しています。
 人のつながりというのは不思議だと思うのは、いま三十数年たって4月から放送の新作アニメ「ベイブレードバースト」の監督の秋山勝仁さんが、ここにいたというのです。
 そのときこのグリーンボックス(AIC)のスタジオで、三十数年後に監督と脚本家として再会することになる二人がすれちがっていたんですね。
 これも縁ですね。

 人は自分の力だけでは、成長することはできません。
 さまざまな人と出会い、その人たちの力を借りて、何者かになっていくのだと思います。

 あまり過去を振り返ったことのなかった僕ですが、今さらながらに気づきます。
 出会ってきたなと。

 遠慮なく、出会いましょう。
 そして変化し、成長していくのです。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:17 | Comments(1) | テレビ | 演劇 | 脚本

2016年03月30日

ベイブレードバーストの放送が近づきました

放送まで一週間を切りました。
4月4日からはじまるアニメ「ベイブレードバースト」放送開始に向けて盛り上げ企画です。
「念力家族」の笹公人さんにほめられたので、調子に乗って短歌作ります。

ベイブレードバースト短歌 (みんなも作ろう!)

世界一なれるといいな夢だけど
見上げた空に未来を探す


俺のベイ世界で一つヴァルキリー
勝利を目指すアタックタイプ


俺の名は蒼井バルトだおぼえてね
明るく元気な五年生だよ


最強のライバルだったぜ親友が
紅シュウは努力の天才


パン食えば思い出すのはかあちゃんが
言ってくれたよ好きなことしろ


最強のしるしは髪をかきあげる
天才戦士紅シュウ
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 19:43 | Comments(0) | テレビ | 脚本

2016年03月30日

自信って大事です

ストーリー脚本教室(心構え編17)

 ひさしぶりに、僕が作家になるまで、その6です。
 続きが読みたいとコメントをいただいたので、もう少し書いてみようかと思います。

◯自信

 前回(心構え編16)では、手塚作品の「ドン・ドラキュラ」を書かせてもらったけど、放送される前に打ち切りになってしまったということろまで書きました。

 この結果は残念でしたけど、製品になる脚本を書き上げたという自信は僕の中で、はっきりと芽生えはじめていました。
 いま思うと、なんの根拠もない自信なんですけど、「自分はやれる」そう思うことだけが、自分を支えてくれていたのだということがわかります。

 フリーの脚本家(もの書き)なんて、何も保証はありません。
 金銭的にも、社会的にも。
 だからこそ、そんな不安定な状況にいても、精神的にぐらついたりしないためには、自分を信じる気持ちがすごく大事です。
 これは物書きだけではなく、俳優や、画家など、芸術的な仕事に携わる人たちはみんな同じでしょう。
 社会的には、不安定であることが、日常なのです。
 それを受け入れて、そのなかで平気でいられる、笑っていられる、ある意味脳天気、いいふうに言えば強靱な精神力が必要です。

 そのためにはやはり、自信が大事です。
 「自分を信じてやること」が。

 自信を獲得するためには、努力も必要です。
 そして少しずつの成功体験が。

 僕は、プロとしての脚本を一本書き上げたことで、その自信の芽をもらった気がします。


 成功体験を、どうやって積み重ねればいいのか?
 その方法がしりたいんです。
 そう思われる方もいると思います。

 努力して、一本書き上げる。
 まず、それが一つの満足になります。

 そしてそれを誰かに読んでもらう。
 いいところがあれば、きっと相手は言ってくれるでしょう。
 だめなところは、なかなか言ってくれません。(みんないい人たちですから)
 でも遠慮なく言ってくれる人もいます。
 そのときは、感謝して、それを素直に聞きましょう。
 どんな意見でも、それは自分ちプラスになるものだと思ってください。

 いろんな意見が聞けたなら、それを自分なりに消化して、直します。
 そしてまた意見を聞きます。

 これを繰り返して、満足の行くものに仕上げるのです。
 それこそが成功体験です。

 自分が満足できるかどうか。

 どれだけ他人がほめてくれても、お金がもらえたとしても、自分が満足できなかったら、それは成功体験にはならないと思うのです。
 どんな些細なことでも、自分が喜ぶことができたら、それは自信につながっていきます。
 そして、あなたを少し変えてくれるはずです。

 自分を喜ばせましょう。
 何が自分を喜ばせるの。
 嬉しくなるのか。
 それを感じてください。

 一個一個、一歩一歩、一文字一文字、前に進んで行きましょう。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 08:25 | Comments(0) | 名誉館長の一言 | 演劇 | 脚本

2016年03月29日

王道は知っていたほうがいい

ストーリー脚本教室(実践編35)

◯ハリウッド式の脚本術は、いいところもあるけど、決まりきった展開になる場合もある。

 僕が紹介したブレイク・スナイダーの「SAVE THE CAT」とかに代表とされる脚本術にならったものは、いわゆるハリウッド式と呼ばれています。
 大きな制作費をかけるハリウッドの映画などは失敗ができないので、ヒットの成功率の高い脚本というのが求められます。
 ですから王道をできるだけ外さない脚本作りがされている傾向があります。
 逆に言うと、それだけ予測のつきやすい脚本になっている可能性が高いというわけです。
 特にエンターテイメイント性の強い作品などは、そうなることが多いです。

 僕たちが作品を書く場合、それをわかった上であえて王道でいくのか。
 あえてそこを外していくのか、選択をしなければなりません。

◯外すためには、王道を知っていなければならない。

 ハリウッド式の脚本術は、知っておくにこしたことはないと思います。
 それを知っていることで、アレンジも、外していくことも可能になるからです。

 どちらにしても、ストーリーを作り上げていく作業は、とても大変な道を歩いていかなければなりません。
 作り方がわかったからと言って、簡単に作ることができるわけではないかです。
 一歩一歩、地道に進んでいくしかないのです。

 自分が目指す作品に向かって、とにかく前進していきましょう。
 さまざまな書き方やテクニックは、すべてそのための道具なのですから。


◯日本で最初の脚本術の本は「風姿花伝」だと思います。

 世阿弥の風姿花伝は、ご存じでしょうか?

 15世紀の初め頃、世阿弥が書いた能の指南書が、風姿花伝です。
 世阿弥が、父親の観阿弥からならったことを、芸道書として書き記したものです。
 これはもともとは能に関することを書いてあるのですが、脚本の観点からも、とても興味深い書として読むことができます。
 「序破急」の考え方などは、これに記されています。

 とても興味深い書なので、一度読んでみることをお勧めします。  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:40 | Comments(0) |  | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月28日

ネタ切れすることはあるのか?

ストーリー脚本教室(実践編34)

 ここまでできるだけ毎日、ストーリー作りや脚本作りにおいて、自分の知っているコツをできるだけわかりやすく書いてみようとしてきましたが、だいぶネタ切れ気味になってきました。
 われながらよく書いていると思いますけど。(笑い)
 一般的なことは、だいたい書いたような気がします。
 ここからさらに踏み込んで指導していくとしたら、たぶん個人指導的なことになっていくんでしょうね。

 今日は、そのネタをどう仕入れるかについてです。

◯ストーリーのネタは、あらゆるところに転がっている。

 よくこう聞かれます。
「ネタ切れすることはないんですか?」

 そういうときに、僕は今まで、ネタ切れすることはありませんと答えてきました。
 書きたいことがありすぎて、書く時間が足りないと。

 なぜそう言い切れるかというと、ネタは僕らのまわりにいくらでも転がっているからです。

 落語家は、「三題噺」というのをやりますよね。
 関係のない、みっつの要素をもらって、それを結びつけてお話にしていくという、即興落語です。
 これと仕組みは同じだと思ってください。

 身の回りにあるものに、「刺激を受けること」で、そこからストーリーをイメージしていけばよいのです。

 たとえばあなたが、「壁にかかっている時計」を見たとします。
 それはきっとあなたの心の中のなにかを刺激します。
 懐かしさが浮かびあがるかもしれません。
 おじいさんの家にかかっていた、古い時計を思い出すかもしれません。
 それを使うのです。
 イメージは、また次のイメージを呼びさましてくれます。
 そしてそれは、一つのストーリーになっていきます。


◯新聞、雑誌、ニュースにもネタが転がっている。

 毎日なにげなく見ている新聞や雑誌やテレビやネットのニュースにもネタがごろごろしています。
 事件から、ストーリーを思いつくこともあるでしょう。
 ちょっとした、いいエピソードから思いつくこともあるでしょう。
 世界は、ストーリーのネタでいっぱいです。

 あとはあなたが、それを使ってストーリーを練り上げるかどうかなのです。

 ネタ切れを心配する必要は、まったくないのです。


◯持続力も必要です。しかし……

 ネタを見つけても、それをストーリーに育てあげるには、じっとパソコンの前にすわってキーボードを打ち続ける持続力も必要です。

 遊びに行きたくても、飲みに行きたくても、じっと我慢して作業を続けなければなりません。
 それができるかどうかにかかってます。

 でもそれで現実の人生を無駄にしてはいけません。
 出ていけば面白い体験ができるとわかっているなら、そこに行かないことを選んではだめです。
 書くのは後でもできますから。

 ストーリー作りと、幸せな現実の人生とどっちを取るかと聞かれたら、現実の人生を選んでください。
 そこで生きた体験をすることが、さらにあなたのストーリーを面白いものにしてくれるはずだからです。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 05:04 | Comments(0) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月27日

舞台脚本を書いてみませんか

ストーリー脚本教室(実践編33)

 今回は、舞台の脚本におけるシーンのつなぎについてです。
 (けっこうマニアックな実践編です。舞台の脚本を書くときに役立ちます)
 
 僕たちは、けっこう俳優が一人で、どこかにいるシーンを書いてしまいがちです。
 例えば、

(例1)
   部屋
   園田英樹が、一人でパソコンを打っている。
英樹「……なかなかすすまないなぁ……あー、あと二時間しかない……」
   そこにノックの音がする。
英樹「はーい。どうぞ、カギ開いてるよ」
女の声「失礼しまーす」
   入ってきたのは祖母よねだ。
よね「あー、ちらかってるねぇ」
英樹「あ、ばあちゃん!」

 みたいな感じで。
 (けっして面白そうなシーンの入りではないですが、あくまでも悪い例に気づいてもらうために書いてます。)

◯登場人物が一人でいるシーンを書いていたら、本当にそこは必要なのかを疑うべし!

 そのシーンのはじまりは、本当に必要なのか?
 疑ってみましょう。

 例1のシーンは、すでにおばあちゃんが部屋に入ってきて、パソコンを打っている英樹のまわりでかってに片付けをしているところから始まっても、なんの問題もありません。
 それどころか、ノックの音を入れたり、入ってくるまでの芝居をカットできて、すっきりします。
 よりエネルギーがたかまったところから、シーンを始めることができるのです。

 どうです、こっちの方がいいでしょう?
 テンポもぐっと良くなるはずです。


◯登場人物の出入りは、本当に必要なのかを疑うべし!

 例えば、園田がいるAシーンが、園田がそこから出て行き、次に場所が変わってBシーンがはじまり、そこに園田が入ってくるとします。

 こういうときは、この園田の出入りは、本当に必要なのかを疑ってください。

 逆に、園田を残して、他が入れ替わった方が効果的なことが多々あります。

 登場人物の園田は時間と空間を飛び越えるのです。
 舞台だとこれが可能だし、より演劇的でダイナミックなシーンの展開になります。

 前後する二つのシーンに、共通する登場人物がいる場合は、これが使えるということをおぼえておくといいでしょう。

 シーンのつなぎはスマートになり、転換の時間も短縮できます。


◯まったく別の時間、空間にいる人を、同じ場所に立たせるこができるのも演劇の特質です。

 じつは、演劇(舞台)表現というのは、ものすごく自由です。
 それは観客の想像力の手助けを、ふんだんに借りることができる芸術だからです。

 観客が想像してくれれば、舞台は、どこにでもなるし、なんにでもなるからです。
 宇宙にも、異世界にも、ミクロの世界にも、心の中にも、あらゆる場所になってくれます。

 これを有効に使えば、別空間、別の時間にいる人物だって、同じ舞台上に立たせることが可能です。

 ようするに自由な発想で遊んでいいのが、演劇の脚本の特性だと思います。


◯舞台用の脚本を、もっと書いて欲しいです。

 仕事という点からすると、映像作品のためのストーリー脚本に需要があるのはまちがいないです。
 僕の体験上からも、映像脚本の方が仕事になりました。

 ただ舞台の脚本というのは、上に書いたように、自由な発想や演劇的な工夫をするのが楽しいし、逆にさまざまな制限の中でいかに面白さを作っていくのかというようなチャレンジがそこにはあります。

 脚本のエクササイズとしては、ぜひやって欲しいジャンルです。

 作家志望の人たちは、舞台の脚本を書いてみることをお勧めします。
 自分の書いたものが、実際に舞台上で実体化していくのを見るのは、最大の脚本の勉強になると思うからです。

 ぜひチャレンジしてみてください。  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 07:52 | Comments(1) | 演劇 | 脚本

2016年03月26日

ストーリーが動きだしたあとに注目

ストーリー脚本教室(実践編32)

 昨日の続きです。
 他の人の作品を見たときに、注目しているところ。
 影像作品についてです。
 一分から五分までは、主に主役キャラについてでした。


◯ストーリーが動きだすところに注目。

 時間は、作品によって違いますが、観客がその物語の主人公とつながってくれたら、作者はストーリーを動かしてきます。

 わりとそれははっきりしているので、わかりやすいです。
 ストーリーが前に進みます。
 何かが起きる瞬間です。

 それが起きたら、「はじまった!」ですね。

 あとはその動きだしたストーリーの中で、主人公がどう動いていくのかを、楽しみながら追っていくだけ。

◯主人公の「追いつめられ方」に注目。

 ストーリーが動きだすとき、ほとんどの場合、主人公は「何かしら困ったり」「追いつめられたり」していきます。
 作者がどんな手段で主人公を困らせるのか、そこに注目します。

 これにもわかりやすいものと、わかりにくいものがありますが、注意して見ていれば、必ずわかります。

 「その手できたか!」ですね。


◯主人公の「目的」に注目。

 ストーリーが動きだして、主人公に何かしらのトラブルが起きます。
 そのときに、主人公がそれに対して、どう動いていくのか。
 どんな目的を持って動きだすのか。
 それに注目します。

 これがないと、主人公ではなくなってしまうので、だいたいにおいて主人公は行動していくことになります。
 そのときち、彼がどういう目的を持っているのかということに注目します。

 これ本当に大事です。
 主人公の目的がはっきりしていないと、ストーリーが迷走していくことになるからです。


◯主人公の「ラブ」に注目。

 僕はラブストーリーが大好きです。
 なぜ好きなのかはわかりませんが、恋愛的な話しがからんでくるのが好きなのです。
 これは僕だけではないのかもしれません。
 これだけ大量のストーリーが世の中にあふれていて、それの多くにラブストーリーふくまれているというのは、僕と同じようにそれを好きな観客がたくさんいるということでしょう。
 需要が多いから、供給も多いのかも知れません。

 ラブストーリーは、なぜか心を暖かくしてくれます。
 そういう効果があることを知っているから、作家たちはそれを自分の物語に組み込むのかもしれません。

 主人公が誰であれ、ストーリーが動きだすのと、ほぼ時を同じくして、多くの場合主人公の「ラブ」も動きだします。
 その相手は、さまざまですが、主人公が好意を抱くのか、逆に抱かれるのか、そういう人物が現れて、ストーリーにからんでくるのです。
 それが本筋とからみあいながら、ストーリーは前に進んでいくことになります。

 だからこそ、この「ラブ」に注目です。
 これもストーリーをより面白くしてくれる大きな要素の一つなのですから。

 これは主に、僕たち観客を気持ちよくさせてくれる効果を発揮してくれます。
 僕たちは、やはり「ラブ」を感じていたい生き物なのでしょう。


◯ラブ(恋愛)を必要としないストーリーも時にはあります。

 ラブ(恋愛)は、人が成長とともに身につけていく社会的な感情です。
 まだこれを身につけていない子供たち向けの物語では、この「恋愛」は必要とされません。
 なぜなら彼らはまだ、それを知らないからです。

 親子の愛情は、子供たちはいち早く身につけます。
 次に友達との関係性から生じる感情。
 男の子の異性に対する恋愛は、そのあとです。(女の子は、やはり男の子よりも早いようです)

 もちろん男女の差や、個人差はありますが、多くの男の子たち(十歳以下)は恋愛にはあまり興味を示しません。

 ですから、十歳以下の少年向けのストーリーでは、あまり恋愛要素が入ってくることがないのです。

◯少年向けアニメに恋愛は出てきません。

 いま僕は2016年4月4日からテレビ東京系列で始まる「ベイブレードバースト」というアニメのシリーズ構成と脚本担当しています。
 この作品には、恋愛の要素はいっさい入っていません。
 この作品の視聴者で、この番組にそういう要素を求めている人はいないと思いますが、そういう人がいたらごめんなさい。

 ちがう形の恋愛は入っていますけと。
 それは少年たちのベイブレードに対する「ラブ」です。
 そういう意味では、これがこの作品の恋愛要素なのかもしれませんね。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 11:16 | Comments(0) |  | 映画 | テレビ | 演劇 | 脚本

2016年03月25日

ストーリー作りのトレーニングは楽しみながら

ストーリー脚本教室(実践編31)

 トレーニングの続き。

 前回は名前と関係性をつけるトレーニングを日常の中で遊びとしてやる方法を紹介しました。

 ストーリー作るのコツを体得するための一番のトレーニングは、いい作品を見て、それを分析することだと思います。

 影像作品はDVDでほとんどあらゆる作品がリリースされているので、トレーニングにはもってこいの環境ですよね。
 小説はもともと本で出版されていたものなので、読んで学ぶことができましたけど、昔は影像や舞台の勉強をするには、劇場に行かねばならずお金も時間も余計にかかりましたから。
 もちろん劇場での体験は、かけがえのないものなので、できるだけ多くいい環境で見てもらいたいです。

 自分の書きたいタイプの作品があるとしたら、それに関係するようなタイプの作品を多く見るようになるのは当然ですね。
 多く見ることで、類似をふせぐこともできるし、さらに面白くするための方法を学ぶことができます。

◯どこを見るのかが大事です。

 作り手が、どういう意図で、そのカット、そのシーンをそこに持ってきているのかを、探偵のように推理しながら見るのです。
 ストーリーの構成は、どうしてそうなったのか?
 それを推測できるようになるのが、トレーニングです。

 僕が、どういうところに注目して見ているかを書いてみます。(今回は影像作品の場合です)

◯まずはファーストカット。

 最初の入りを、どういう絵にしているのか?
 そこにまず注目しています。
 ここは演出家の領域が大きいですね。どんな絵で物語に入っていくのか?
 脚本家は、ファーストカットについては、あまり意識して書くことはありません。
 もちろんイメージはあるでしょうが、柱やト書きでは、ファーストカットのことにはふれませんからね。
 ただし、演出家は、まずどの絵から、入っていくのかを意識しているはずです。
 それに注目するのは、そこには多くの場合、その物語全体に伝わっていくイメージをこめようとしているはずだと思うからです。

◯冒頭の一分から五分間。

●どうやって見る人(観客)を、物語に引きつけようとしているか?

 お客さんは、優しいので最初の数分はたとえどんなものでも見ようとしてくれます。
 でもその優しさに甘えてはいけません。
 つまらなかったら、さっさと離れて行ってしまいます。

 ですから最初が肝心で、作家も演出家も、冒頭でできるだけお客が離れないようにする方策をそこに仕掛けようとするのです。
 この作者は、どうやってそれをしようとしているのか?
 そこに注目します。

●主人公は誰なのか?

 物語を観客と一緒に旅してくれるパートナーが主人公です。
 ですから作り手は、多くの場合最初に主人公を登場させます。
 もちろん例外もあります。
 作り手は、かならずこの登場人物が主人公ですと、観客にわからせているはずです。
 それをどうやってやっているのかに注目します。

 いろんな方法で「この人が主人公です」とわからせる方法を取っているはずです。

●主人公を好きになれるのか?

 観客が主人公を嫌ってしまっては、物語に連れていくことはできません。
 ですから作り手は、かならず主人公を観客に好かれるような方策を取っているはずです。
 どんな手を使っているのか、それを見つけてください。

 もちろんスターがそれを演じている場合に、その人が主人公だと暗黙の了解で観客はわかっているのですが、物語の登場人物として、どういうことをやっているのかの方により注意して見るようにしましょう。


 冒頭の一分から五分の間にも、要チェックするべきところは、こんなにもあります。
 ストーリーを楽しみながら、頭のどこかで、これらのことを意識して見るようにしてみてください。
 無意識にそれができるようになったらしめたものです。
 あなたの作品でも、それらのことが自然にできるようになっていくことでしょう。

 次はいよいよストーリーが動きだすところです。
 それはまた次回に。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 12:21 | Comments(0) |  | 映画 | テレビ | 演劇 | 脚本

2016年03月25日

人の気持ちに敏感になる方法

ちゃさんからの質問に答えます。

◯「感情を勉強するために、人の気持ちに敏感になる方法はあるのか?」

 あります。

 人は、瞬間に生きています。
 その瞬間、瞬間で、さまざまに心を動かして、感情も変化しています。
 しかしそのことは無意識で行っていることなので、自分が動いて変化していることについて、けっこう鈍感になっています。

 そこにまず敏感になる練習をしましょう。

 『自分の感情(気持ち)がどう動いているのか』を意識するのです。

 トレーニング方法としては、こんなやりかたがあります。
 自分の中で起きたことを、口に出していいます。

 まず時間を決めてください。(三分とか五分とか)
 そして他の人に見られても大丈夫な環境でしてください。(はたから見たらおかしな行為ですから)
 そして自分の気持ちが動くたびに、それを口に出して言います。

 こんな風に。
 あなたはテレビドラマを見ながら、お菓子を食べています。
 ポテチを食べて、ちょっと気持ちが動きます。
「わたしはポテチを食べて、意外においしいと思った」
 ドラマに好きな俳優が出ます。
「わたしは、◯◯君を見て、すこしウキウキしてきた」
 そこに母親がやってきて、もう寝なさいと言われます。
「わたしは、母親に注意されて、少しむかついた」

 こんなふうにして、ほんの短い時間の中ででも、自分の心が動いているということに気づき、それに対して敏感になるようしていきます。
 自分の感情の変化に敏感になれば、他人の感情の変化にも敏感になれます。
 まずは、自分の中で、瞬間瞬間、すごい変化が起きていることに気づき、それを受け入れていきましょう。

 ここが第一歩です。

 このトレーニングは、なかなか一人でやるのは難しいですけど、自分の中にさまざまな衝動があり、感情が変化していることに気づくだけでもいいのです。


◯「さまざまな人と出会うコツ」

 これも気持ち(意識)しだいだと思います。
 自分が出会うということは、相手にとっても出会うということです。
 お互いさまなのです。

 いろんな場所に出かけていき、そこで人と出会うチャンスに飛びこむ「勇気」を持ってください。
 こわがっていたら何もはじまりません。
 一歩を踏み出す勇気を出すのです。
 最初の一歩が踏み出すことができれば、次の一歩も出てくるでしょう。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 04:53 | Comments(1) | 名誉館長の一言 | 演劇 | 脚本

2016年03月24日

日常でのトレーニング(遊び)について

ストーリー脚本教室(実践編30)

◯トレーニングについて

 僕はストーリー作りも、他の技術をようするスポーツ、仕事、アートなどと同じようにトレーニングが必要だと思っています。

 技を維持し、さらに磨いていくためのトレーニングです。

 前にウォーミングアップはいくつか紹介しました。(言葉のウォーミングアップ)
 連想ゲームなどです。
 今日、いくつかトレーニング方法も紹介したいと思います。

◯名前をつけるトレーニング(遊び)

 登場人物の名前はというのは、とても大事です。
 その人物の最初のイメージを喚起するのが、名前なのかもしれません。
 登場人物の人物像がパァッとイメージできるような名前をつけてあげましょう。

 それで名前をつけるトレーニングです。
 僕がよく遊びでやっているのは、道を歩いていて、前から歩いてくる人をパッと見て、その人からイメージして、かってな名前をつけるゲームです。

 いざやってみると、なかなかすぐには出てこないものです。
 平凡な名前は出てきたりしますが、特徴をイメージできるようなものは、すぐには出て来ません。
 でも、それでもいいのです。
 その意識付けさえできていれ。

 登場人物の名前は大事だという意識付けさえできていれば、いざつけるときに、いい名前を見つけることができます。

◯いろいなバージョンで名前をつけます。

 たとえば、
「外国人」バージョン。
 マリリン、サーシャ、フランシス、メイリン、などカタカナ名前がすんなり出てくるようにします。

「時代劇」バージョン
 おさよ、長治郎、源之助、剣太郎左衛門、などなど。

「ファンタジー」バージョン。
「アクションサスペンス」バージョン。
「宝塚女優」バージョン。
 などなどいろんなジャンルなどにあわせた名前をつけて遊びます。


◯関係性作りトレーニング(遊び)

 これも歩いていて、前から歩いてくる人をつかったトレーニングです。

 その人をパッと見て、自分にとって、その人がどういう関係なのかをイメージするのです。
 関係性というのは、いろいろあります。(実はそれほどバリエーションはありません。)
 親子、友人、恋人、夫婦、会社の上司、親戚、昔の同級生、などなど……。

 ストーリー作りには、登場人物同士の関係性を描いていくことは、必要不可欠です。
 ある意味この関係性を作ること、その変化を描くことこそが、ストーリー作りなのかもしれません。

 どんな関係性を思いつくことができるのか。
 これはそこに意識付けをするためのトレーニング(遊び)です。


◯トレーニング方法を作ろう

 自分のストーリー作りの技術をあげるためのトレーニングを、遊び(ゲーム)だと思ってください。
 新しいゲームを作って、それを遊ぶのだと。
 そうすれば日常のすべてが、遊び場になり、トレーニングの場とかわっていきます。

 新しいゲームができたら、僕にも教えてくださいね。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:35 | Comments(0) | 散歩 | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月23日

どうやって観客(視聴者)の気持ちを知るのか

うらさんから「どうやって視聴者(子供)たちの気持ちに応えられるものを作っているのですか?」という質問が来ました。

年齢差はあまり気にしていません。
僕はいつでも小学生の気持ちになれます。
僕も、かつては小学生でしたしね。

あと取材はいつも心がけています。
今回も小学校に行って、小学生と一緒に給食食べたりしました。
ベイブレードに関しても、ベイの大会とかにもできるだけ行って、自分の目で見て、感じるように努力しています。
もちろんベイブレードでも遊んでいます。
楽しいですよ。

自分が楽しいと感じることが、なによりも大事だと思っています。
本気で好きになって、本気でそれを伝えることが、なによりも感動を伝えるためには必要だと思います。
それがちゃんと伝わるといいですね。

他の番組を書くときも同じです。
取材して、作品の対象を本気で好きになること。
それが大事だと思います。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 23:55 | Comments(1) | 脚本

2016年03月23日

スランプはあるのか?

 ももさんから「スランプになったことはありますか? スランプになったらどうしますか?」とのコメントがつきましたので、お答えします。

 スランプというものが、どういう状態なのかは、人によって違うと思います。

 どういう状態でしょうか。

1、書こうとしても、いいアイディアが出てこない。
2、書いているのに、なかなか進まない。
3、書きたくない。
4、書けるけど、いいものが書けない。

 以上、四つくらいの状態があるでしょう。

 こうやって書いてみると、たしかにどれもありますね。
 意識したことはなかったですけど。

 ということは、僕はスランプになったことはあるということですね。
 しかし意識していなかったということは、それにたいして何もしていなかったということ。
 とりたたてそういう状態になったからといって、無理をしてなんとかしようとせずに、自然にまかせて焦らずに待つと、いつのまにかそういう時期は過ぎていきます。

 自然治癒力を信じて待つのです。

 散歩するとか、読書するとか、映画を見るとかして、脳の免疫力をたかめながらね。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 06:54 | Comments(0) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月22日

僕が大事にしている、感情のこと

ストーリー脚本教室(実践編29)

 ドラマの中で、何を大事にするのか。

 これから書くのは、自分ならば何に興味を引かれるのかについてです。

 物語を読んだり、ドラマを見たりしているときに、僕は登場人物の気持ちの動き、その変化にもっとも引きつけられています。

 ストーリーの構成とか、展開は、その次です。

 とくに主人公の気持ちが、どう動いているのか。
 (主人公に感情移入ができないときは、物語に入っていけないし、ドラマにも乗れないので、問題外ですけど)
 主人公を見続けたいと思う、一番の大きな理由は、この主人公の満たされない(たいていの場合は主人公は満たされていません)気持ちが、最終的にどうなっていくのかが気になるのです。

 みなさんは、どうですか?


◯『感情線』は間違っていないか?

 「感情線」とは、登場人物たちの気持ちの流れのことです。
 シーンとシーンの間で、登場人物の感情は変化していきますが、その流れのことをこう呼びます。

 これに矛盾があってはこまります。
 観客(読者)が、とたんについて行けなくなってしまうからです。
 ストーリーをつくるときには、この感情線がおかしくなっていないかどうかチェックすることは大事です。

 書いたものを読み返していて、なんか変だと感じたときには、この『感情線』をチェックしてください。

 前に「感情を動かすことは、ストーリーを展開させる」というようなことを書いたと思いますが、いくら感情が動いていても、感情線を間違って動かしていてはダメです。

 ちゃんと感情線にのっとって、動かして行きましょう。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 08:17 | Comments(0) |  | 映画 | テレビ | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月21日

書きたいものが無かったらどうする

ストーリー脚本教室(実践編28)

◯作家(あなた)に書きたいものはありますか?

 ほとんどの作家には、書きたいものがあるはず。
 そう多くの人は思っていることだと思います。
 果たして、それがない作家というものはいるのでしょうか?

 実は、僕には、それがありませんでした。

 「書く」ことは好きで、やめられないくらい中毒なんですけど、「書きたいこと」というのは、とりたてて無かったのです。

 なんとなく「好きなこと」を「書きたいこと」だと思っていました。

 飲みの席で、先輩の脚本家さんに「おまえの書きたいものはなんなんだ?」と聞かれたことがあります。
 そのとき、答えに困ってしまったことを、はっきりとおぼえています。

 それからというもの呪いのように、この先輩の言葉が僕の頭のどこかにひっかかっていて、いつも僕に問いかけてきます。
「おれの書きたいことってなんなんだろう?」

 もう何十年も脚本家として仕事をし続けているのに、これが見つかっていないというのは、どういうことなんでしょうかね。

 ただ物語を書き始めると、「その物語で書きたいこと」というのを、見つけてしまうのです。
 書き始める前には、思いも寄らなかった「書きたいこと」が、ふわーっと浮かび上がってくるんです。

 それがあるから書くことをやめられないのかもしれません。

 僕は物語を書き始める前は、何にもない、からっぽの状態です。

 何もない状態のところに、物語の種が植えられると、その種をちゃんと育てて、実をむすばせるために全力を注ぎはじめます。
 まさに農夫が、畑に種をまいて育てはじめるように。

 僕のやりかたというか、タイプは、一つの例だと思ってください。
 他にもいろんなタイプの作家がいると思います。
 ただもし僕みたいに、書くのは好きだけど、「何が書きたいのかわからない」という人もいるかと思うので、僕の体験を隠さずに書いてみました。

 ただし、「自分らしさ」というのは、どんな物語を書いたとしても、そこににじんでいくものだと思います。
 同じものを書いても、書く人が違えば、違うテイストになるのだと思います。
 だからこそ世の中に、同じようなタイプの物語がたくさんあっても、別のものだとして楽しめるのでしょう。

 「どんなものを書いても、自分らしさは出てしまう」
 そう思ってください。
 僕は、そういうものだと思います。

◯誰かのために書く。

 自分のためではなく、誰か他の人のために物語を書く。
 そういうこともあると思います。

 というか、実はこっちのほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。

 自分の満足のためだけではなく、観客(読者)を満足させるための物語。
 多くの作家は、そのために書いているのではないかと思います。

 もちろん観客(読者)の姿がはっきりと見えている場合と、見えていない場合があるでしょう。
 でも自分の書いている物語が、だれにむかっているのかというのは、作家は感じているのではないでしょうか。

 前にも、これに似た記事を書きましたが、今日はこれを書きながら、自分の考えがよりはっきりしてきました。

◯書きたいけれど、書きたいことがない。

 もしあなたが、そういう状態だとしたら、打開策はあります。

「誰かのために書く」
 そう決めるのです。
 その相手は、あなたが喜ばせたい相手であればいいでしょう。

 その相手を、目に浮かべて、どんな物語をプレゼントすれば喜ぶかを考えるのです。
 モチベーションも上がり、物語のヒントがおそらくふってくることでしょう。

◯相手を喜ばせるために。

 これがキーワードです。
 書きたいこと、物語を自分に引き寄せるため、ぜひこれを使ってみてください。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 13:14 | Comments(0) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月21日

知りたいことがあったら、コメントつけてね

ストーリー脚本教室(実践編27)

 前回の実践編では、直しは何度でもしようということを書きました。

 このブログの記事、ストーリー脚本教室、書き始めてからほぼ休んでなかったのですが、さすがに昨日は仕事とか、友人の結婚式とかあって休んでしまいました。
 幸せな現場に立ち会うというのは、こちらも幸せな気分になっていいですね。

 ブログのことに戻ります。
 実践編と言うからには、実際に書くときに役立つものの方がいいですよね。
 じっさいのところ、みなさんは、どういうことを知りたいですか?
 知りたいこととかあったら、遠慮なく、このブログのコメントらんに書いてくださってけっこうです。

 コメントは、一応、僕が承認してからアップロードされるしくみになっているので、ちょっと時間差がでるかもしれませんけど、そこのところはよろしくお願いします。
 以前、コメント欄に、エッチなサイトへの誘導コメントとか載っけられることがあったので、承認してからアップされるようにさせていただきました。
 ご了承ください。

  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:32 | Comments(5) | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月19日

最初の一歩、そして次の一歩へ

ストーリー脚本教室(心構え編16)

 僕の体験が、これから目指そうとしている人の何かの参考になればと思って書いてます。
 僕も、最初は何か書くことで生きていけたらと思うだけの少年でした。
 師に出会い、演劇を始め、映画三昧の生活を続ける僕に、チャンスが来ました。

◯僕のプロへの一歩

 ある日、師である森さんから、友人の小山高男さんを紹介してもらいました。
 高校の同級生で、森さんが以前仕事をしていた竜の子プロダクション文芸部でも一緒に仕事をしていたという人で、そのときはフリーの脚本家として、バリバリ仕事をしている現役作家です。(もちろん今でも脚本の世界の大御所として大活躍されてます)

 小山さんは、森さんの紹介だからということで、快く僕を迎えてくれました。
 小山さんは、そのころ脚本と同時に番組の構成の仕事もしていて、その手伝いをやることになったのです。
 具体的には、身の上相談番組の、相談内容と、相談者のプロフィールを作ること。
 本物の相談者がいないときには、その役を俳優さんにやってもらうので、そのための台本をつくらなければならないというわけ。
 「やらせ」じゃないの、これってと思いました。(笑い)
 なんとなくテレビ界の裏側を覗いた気がして面白かったです。

 このときにさまざまな人の悩みやプロフィールを作った経験は、脚本を書くときに、登場人物のプロフィールを作るのにも役立ちました。

 僕は、小学五年生の時に読んだ「ブラウン監獄の四季」の世界に一歩近づいた気がして、なんだかウキウキしていたのでした。

 その後、ついにテレビアニメの脚本を書くチャンスが来ます。
 小山さんがシリーズ構成と脚本をやることになった番組『ドン・ドラキョラ』を書かせてもらえることになったのです。漫画界の巨匠、手塚治虫さんの原作コメディです。
 僕は、やった! と心の中でガッツポーズをしたと思います。

 準備として、テレビアニメの脚本をできるだけ多く読み込みました。
 映画を分析したり、ドラマの脚本はたくさん読んでいたつもりでしたが、アニメの脚本はそれほど多く僕のまわりにはなかったので、友人や関係者に頼んで手に入れて、とにかく読みました。
 そしてシナリオ表現の違いなどを研究したのでした。

 そしてついに一本を書き上げました。
 何回も直しをして決定稿に仕上げていく過程は、はじめて体験するものでしたが、自分が書いた脚本の作品が現実化すると思うと嬉しくて、直しが出るのさえも、嬉しく感じたものです。

 それにそれまで芝居の台本を書いていて、二時間近くの作品を書いたことがあったので、三十分(実質は二十二分くらい)の長さの脚本を書くことは、それほど苦にならなかったのです。

 しかしこの初脚本作品は、日の目を見ることはありませんでした。
 なにかのトラブルで、番組自体がなんと4話で打ち切りになったのでした。
 僕が脚本を書いた回は、けっきょく放送されることなく終わってしまいました。

 世の中、そうそううまくいくものではありません。

 がっかりしたのは当然ですが、それほど落ち込みはしませんでした。
 それよりも自分の書いたものが、一度は決定稿になったということの自信の方が大きかったのです。

 自分はやれる。
 そんな思いが、僕の中に生まれていました。


◯自分を信じてやるということが大事です。

 これはなんの仕事でも共通のことだと思いますが、それを自分がやれると信じてやるのはとても大事なことだと思います。
 誰もがアドバイスしてくれることですが、自分でそれを自分に信じ込ませるのは、なかなか難しいことです。
 やはり、成功体験というものが必要なのかもしれません。

 簡単のことでもいいので、一つ一つ積み上げていきましょう。
 いつかは、それが自信に変わっていくのだと思います。
 気づいたら、自信がついてた。
 そうなることを信じて、一歩ずつ進みましょう。

 成功体験を自分でつくるのです。
 最初は、一つのアイディアを文章にすること。
 次に、それをストーリーに成長させていくこと。
 プロットにしていくこと。
 一つ一つに喜び、楽しんでいくこと。
 それこそが成功体験です。
 そして最後に書き上げて、「終わり」の文字を書き加えること。
 このとき満足感がきっとわき上がるでしょう。
 一瞬かもしれませんけど。
 でも、それが大事なのです。

 書き始めたら、「終わり」の文字を入れるまで、がんばってください。

 ここのところ、自分のことの回想ばかりをブログで書いている気がするので、実際のストーリー作りのこつを学びたいという人のためには、あんまり役にたっていませんね。
 ついつい語りはじめたら、長くなってしまいました。
 デヴュー直前までのことは、だいたい書いたので、そろそろ現実的な実践編に戻っていきますね。
 期待してください。

 それからブログ読んだ感想などあったら、コメントしてくださいね。
 ぜひ聞きたいです。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 10:07 | Comments(0) | テレビ | 演劇 | 脚本

2016年03月18日

その瞬間を生きること

ストーリー脚本教室(心構え編15)

 僕が作家になるまで、その4。

 劇団に入って、出演と演出助手をやりながら、演劇をどうやってつくるのかを学びながら、僕は自分の作品を書き始めました。
 僕が書いたものを、いきなり劇団で上演してもらえるわけもないので、自分でやるしかないと思いました。

 大学に演劇をやっている人たちがたくさんいました。
 時代は学生演劇も盛り上がっていました。
 学内にも、いくつも演劇団体があり、他の大学にもさまざまな劇団がありました。
 僕もよその大学の演劇団体などとかかわるようになっていました。
 俳優やスタッフを集めようと思ったら、わりと簡単に集めることができました。

 協力してくれる人たちに頼み込んで、大学の近くの小劇場を借りて、一本目の作品を上演したのです。
 タイトルは「ファイヤーボール」のちに、この作品を書き直して「ファンタスト」として再演しました。
 二本立て公演で、もう一本は師匠の森さんに脚本をお借りした児童劇でした。

 このときは脚本演出出演もしていて、無我夢中でした。
 せまい劇場だったので、超満員になり、とうとう舞台上にもお客を入れての上演の回もでる始末です。
 しかしなんだかものすごい高揚感の中にいたのをおぼえています。

 かくして僕の脚本家としての人生がスタートしたわけです。

 なにかを書いて生きて行けたらいい。
 そう思っていた小学五年生は、いつのまにか大学生になっていました。

 大学時代は、劇団日本と、自分がプロデュースして上演するグループや他の大学の人と作る物に参加したりして、演劇三昧の日々を送りました。
 それと同時に映画の脚本を書きたいという夢も抱くようになり、大学生の間に、とにかくたくさんの映画を見ようと決意して、(当時は名画座というものがけっこうたくさんあり、わりと安く映画を見ることができたので)映画を見まくりました。

 今ならDVDとかネットがあるので、見たい映画をいくらでも自分の部屋で見ることができますが、当時はビデオはまだまだ高価でした。
 名画座巡りが、僕の日常になりました。
 年間300本くらい見ていたと思います。
 映画館で映画を見ながら、メモをとって、あとで映画の構成を分析するのが、僕の脚本修行のやりかたです。

 映画ノートというのを作って、それに映画の感想や、気に入ったセリフなどなんでもメモをしていくのです。
 とにかく他の人の作品から、脚本の書き方を盗み取ろうという気持ちでした。
 脚本の書き方(指南書)のたぐいも、手当たり次第に読みました。
 このときは脚本教室に行くとか師匠について修行するという発想は、まだ僕にはありませんでした。
 演劇の練習をしているか、映画館で映画を見てメモをとっているか、毎日そんな感じです。

 ミステリー小説を書きたいと思っていたので、大学でそういうサークルはないかと探したら、ミステリーがなくてSF研究会というのがあったので、面白そうだと思って、そこに所属しました。
 明治大学のSF研究会というのは、同人誌活動などをやっている先輩たちがいて、なかなか面白い人たちが集まっていました。
 SFだけではなく、コミック全般、アニメなどにやたらと詳しい人たちもいて、ちょうどコミケットというのを先輩が立ち上げようとしていました。(僕もその分野に関しては、誰にもまけないというくらい自信があったので、もってこいです)
 第一回のコミケの立ち上げに手伝いに行った記憶があります。
 コミケが、その後ものすごいことになっていくのは、みなさんご存じですよね。

 劇団、大学演劇、SF研究会、映画館。
 この四カ所をぼくは、ぐるぐるまわりながら、脚本修行をつづけました。

 いつのまにか、書くことが日常になり、自分は書いて生きていくんだという気持ちもはっきりとしたものに育っていたのでした。
 舞台の脚本も何本か書き、上演したことで、自分の中に自信のようなものもついてきていました。
 根拠は何もないんですけどね。
 がむしゃらでした。

 このあと、ついに僕はプロとしての一歩を踏み出すことになります。
 それはまた次回ね。



◯未来は見えなくとも

 自分のやっていることを、自分で認めること。
 自分自身を自分が受け入れること。
 これはとても大事なことだと思います。
 実は、これは案外難しいんですよね。

 人は、すぐに批評家になってしまいます。
 他の人のことだけじゃなく、自分自身に対しても。

 自分を批評してしまうと、欠点ばかりが目についてしまいます。
 批評家にならずに、あくまでもクリエイターとして、自分を認めてあげること。
 ダメなところ、失敗もふくめて、自分を自分で受け入れることができたらいいんです。

 いまなら、そういうこともよくわかります。

 未来のことなど、わかるわけありません。
 ましてや自分がどうなっていくのかなんて。

 道も見えないところを歩いていかなければなりません。
 目の前のこと、その瞬間瞬間を大事にして、自分のできることを全力でやること。
 それがその瞬間、もっともやりたいことであるなら、きっと後悔はないはずです。

 さまざまな困難や、障害があなたの目の前に立ちふさがるかもしれません。
 それで引き下がらずに、それらの困難や障害も、自分のストーリーを面白くするためのものだととらえることができたら、しめたものです。
 きっと本当に面白くなっていくでしょう。

 自分を受け入れて、外に心を開き、さまざまな出来事や人に出会っていくこと。
 これがあなたのストーリーを面白くしてくれます。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 09:14 | Comments(0) | 映画 | 演劇 | 映画と小説 | 脚本

2016年03月17日

演劇で、人間を学ぶ

ストーリー脚本教室(心構え編14)

 僕が作家になるまで、その3。

 大学に入学して東京に行った僕は、児童文学者の森さんに会い、演劇をやったほうがいいと言われました。
 僕の取り柄は、素直さです。
 尊敬してる森さんがいうのなら、やってみようと思って、大学でも演劇のゼミをとりやりはじめました。
 しかしまだ演劇に関してほとんど無知だった僕は、新聞で出演者を募集しているという記事を見たのでした。

 いわゆるオーディション情報です。
 その記事には、その芝居は日本で上演したあと、ニューヨークで公演すると書いてありました。
 おー、ニューヨークか! オフオフブロードウェイでの公演。
 いいじゃん、行きたいなぁ!
 そう思いました。
 無謀ですよね。
 大学で演劇をはじめてはものの、まだまだど素人のくせに、なんとかなるって思ってるあたり。

 それで僕は応募してみました。
 そしたらなんと電話がかかってきて、稽古場に来いと言われました。
 どうやら受かったらしいのです。
 なにが良かったのかは、いまでもわかりませんが、もしかしたら応募者があまりにも少なかったのかもしれませんね。(笑い)

 大学の中でしか演劇を知らなかった僕は、はじめて外部の稽古場に行きました。
 顔合わせというやつです。
 演出は劇団日本の三原四郎という人でした。
 これが僕の芝居の師匠となる、三原さんとの出会いです。

 これが僕の劇団活動の第一歩でした。
 この初舞台の芝居に関しては、あまりに面白いエピソード満載なので、ここで書き始めるととんでもなく長くなってしまいそうなので割愛します。(いつか機会があれば書きますね)

 三原さんは、豪快な人でした。
 日大の空手部出身と言っていて、腕っぷしも強そうで、とても魅力がありました。
 僕のことは、ガキ扱いでしたが、それが嫌に感じません。
 運動部の大先輩というか、戦国武将って感じです。
 
 戦国武将は、舞台の稽古を力業でぐいぐいひっぱっていき、芝居をつくりあげていくのでした。
 芝居にかかわっている俳優たちも、とんでもなく面白い人たちがたくさんいました。
 僕は、あっというまに、そのエネルギーの渦に巻き込まれていったのです。

 最初は俳優として劇団に参加した僕ですが、もともと脚本家になりたいと思っていたので、そのことを三原さんに伝えました。
 そしたら演出助手をやれと言われ、それから演出助手もかねることになりました。
 演出助手というのは、つまり舞台にかかわることは、なんでもやるということです。
 一番の仕事は、稽古中に演出家の隣に座っていて、演出家が言う「ダメだし」をそのつどメモをしていきます。
 そして芝居を止めて、いわゆるダメだしをするときに、そのメモを取ったことを演出家に伝えるのです。

 この演出助手の経験の中で、ぼくは演劇を学びました。
 演出家が、何をチェックするのか。
 俳優の何を見ているのか。
 それを何年かにわたって、ぼくは教えてもらいました。

 劇団日本は、いわゆるアングラ劇団と言われていましたが、ぼくが入った時期は大劇場での公演が多くなっていた時期だったので、僕はいろんな劇場で演劇をするという体験をさせてもらいました。

 このころ森さんが言ってくれた言葉の意味がようやくわかってきていました。
 演劇で大事なのは、人間を描くこと。
 19歳の作家志望の人間にとって、それまで本でしか学んでない青年にとって、本当の人間たちと出会い、ぶつかりあい、彼らを知ることこそが必要なことなのだと。
 それを僕に与えてくれたのが、演劇だったのです。
 だからこそ、森さんは、僕に演劇をやったほうがいいと言ったのだと気づいたのでした。

 ようやく僕は、本ではなく、人間に興味を持ち始めたのです。
  


Posted by 名誉館長 園田英樹 at 12:01 | Comments(0) | 演劇 | 脚本